暑い、熱い

お盆期間中、バドミントン練習会は二つがあった。週四回が日常だと回数が半分に慣れない、連日の危険な暑さに熱中症警戒アラートが発令され、電気代を気にしながら午前中からエアコンを付けて家でゴロゴロした二、三日あとのバドミントン練習会にワクワク感はあったが。。。。

この日のお昼、外の陽射しは殺人級だ。空調の効いている快適な空間を離れるには惜しいが、バドミントンがしたい、したいけど、この暑さね、どうしても後ろ向きになる。

この暑さを逆手に何かいい考えはないだろうか。

ある、ある。

自転車で家と体育館の往復、四時間バドミントンで爆汗をかき、帰宅後冷水シャワーで体をさっぱりして、冷蔵庫にキンキン冷やしてあるビールをごくごくのどに流す爽快感、ああ、至福の時だ。

この至福の時を味わいには朝から空調の効いている部屋でテレビのリモコンをいじるだけでは手に入らない、だって、今から冷蔵庫にキンキン冷やしてあるビールを飲みたいかと言うとそんなに飲みたくない。

私は体を動かすと暑さで一層ビールが欲しくなるのだ。

小学校の体育館は暑さ対策で大型扇風機があるが、空調設備がない。館内は人の体温だけで熱気が立ちこもってムンムンするのだ。

大半は中高年と二十代数人が暑さにも負けずバドミントンを楽しんでいる。口を開ければ、この暑さは何?この暑さはやばい、去年はこんなに暑かったっけ?もう暑いしか出ないよ、はぁ、はぁ、はぁ。

最初の一時間は技術向上を意図に、ジュニアに教えている男性の方がショットの練習メニューと球出しをしてくれる。この日は繋ぎ球の一つの練習だと、受ける人はコートのやや後ろの真ん中に、両サイドに来た球を浮かないようにストレートに返す。

繋ぎ球だから、とにかく自分が打った球を次に繋げるが目的で、点数を取りに行くではない、それだから球が浮くと相手に叩かれることになる、絶対に避けたいのだ。

伸びしろしかない私達中高年はやってみると、自分でもわかるように球が高く浮いてしまう、今度はラケットの面と打点を調節するがネットに掛かってしまう。始めは3球目で中断になった。5球に出来た時点で楽しさが急上昇、ここで誰かが20回を目指そうと呼び掛けると、待機中の人が大声でい~ち,に~,さん~を数え、雰囲気を盛り上げた。やっている本人が皆に注目されているとやや緊張する、あとちょっとで失敗すると周りからああ~と惜しい声が上がる。

熱気が溢れる。そうなると皆がもっとやりたくなる、何回かやれば慣れてくるが、球出し役にまわる人も球筋をもう少し厳しくする。対処するために足の動きをもっと速くする。来る球に集中すると暑さは気にしていられない、でも足が重くなる。やがて足が付いていけな、止まった途端に呼吸がヒーヒーハーハー、全身に汗が滴れ、速く濡れタオルで汗を拭き、スポーツドリンクを飲んだ。

その後の三時間は試合形式のゲームになる。コートは三面あるから、一回に十二人が入って、十二分間でやる。二十四人以上いれば、一回やって確実一回を休めるが、二十四人以上の集まりは滅多にない、公平を期して二回やって一回休みになる。でも熱中症で倒れたら困るし、怪我したらもっと困る、だから我ら中高年達は無理しないように自分の番を若い子に譲る、そして若い子達の打ち方を見て勉強する。まあ、とは言え、実際にはすごい、すごい、と絶賛するだけで真似したくても出来ないが実情だ。

飲んだ水の量がそのまま汗に出るようで、ウエアーはあっという間にびっしょぬれだ。いくら速乾性、通気性が良いウエアーでも乾くことなく、汗で重たくなるから着替える。3,4枚を着替える人はごく普通だ。自分もそうだったが、汗が途切れなく毛穴から噴き出すから着替えて三十分も持たないまた濡れる状況に、これは傘を差さずに雨の中を歩くと同じじゃないか。濡れたら直ぐ着替えたら洗濯物が増えるだけじゃん。そう思うと着替えを一枚にする方針転換した。

自分は集中力をコートに注げば汗濡れのウエアーに徐々慣れると分かった。もう一つ分かったことは、ここに集まった人は熱いバドミントンラブで高温の暑さに屈しないのだ。

ちょっとお馬鹿さんに見えなくもないかもしれない。。。。

ストレス発散、意地悪がしたいならあそこで思う存分にできる

日々の生活にストレスが生じて貯まる。どんな些細なことでもその人にとってはストレスになる可能性があるのだ。私事で言うと、使った物を定位置に戻さない家族を見たら、戻しなさいと口出をしたくなる。言葉走り瞬間、相手の心理状態によりもうストレスを与えたかもしれない。自分自身どうなのかと言うと、言っても言わなくてもストレスだ。

ええ~どうして?

言って、相手に嫌な顔されたり、あるいは強めな言葉を返されたり、言わない場合は気になることをグッと飲み込んで自己消化をしないといけない、ストレス種に相当するなのだ。

人の心は変わりやすい天気のようだ。例えば晴れのち曇り、午後から大気の状態が不安定、強風に伴う一時激しい雨に注意!

人間はとにかくその場の空気と心理状況で物事を穏やかな対応が出来るか、あるいは一触即発の危機になるか。一日に心の微妙な変化を拡大すれば想像以上に波瀾万丈だったかもしれない。

ストレスを貯めては体に悪い、貯めてる悪いから排出しないといけない、排出しないとストレスタンクがいずれ満タンに爆発する。人がどうなるの?私は負状況を想像してしまうのだ。

私はバドミントンを楽しんでいる以上に自分のストレス排出法として重宝している。

私達は試合形式のゲーム練習に点数を数える。勝負するを前提に、相手から点数を取り、相手に点数を取られないように企てる。この観点で行くと相手が取れない球を打つ、自分は相手からの球をミスしないで返す。

相手が取れない球をわざわざ打つって意地悪に相当するだけだと思いませんか?

でもバドミントンのコート内ではこの意地悪が容認される、むしろ観戦者から拍手喝采を頂くのだ。やる人は意地悪さを前面出し、見る人はこれに称賛する。極端に言うと、意地悪を推奨する、優しさをダメ出しにする、人間が持っている悪魔的な一面をコート内で遠慮せず発揮したらむしろヒーローだ。

そうですね、コート内でのヒーローは意地悪者だ。意地悪をしたい時はコート内でする。その欲をパンクする前にコート内で減圧することが出来るのだ。

これらはコート内で許される話で、コートから一歩でればNGだ。

バドミントンのトップ選手が放つスマッシュのスピードは新幹線なみだ。私はその十分の一以下だと思う。それでもラケット思い切り振ってシャトルを完全にパッシと叩けた時のスピード音「シュー」がスカッとする、快感を覚えるのだ。ストレスの解消法の一つになるのは何かの物を叩くだね。例えば、太鼓、ゲームセンターにあるモグラ叩き。

ここでふと思った。人間は暴力回避のためにいろんなスポーツ競技を作ったりのかな?例えば、合法的に人を殴る蹴るならボクシング、K1、人を刺したいならフェーシング、人を胸掴みで倒したいなら柔道、一つの物を奪い合いたいならサッカー、バスケットボール、ラグビーだね。

だが、悲しいことに慈悲の欠片もない殺し合い戦争がリアルに起きているのだ。

Nさんがもういないバドミントンサークルへ

今年1月中旬頃のバドミントン練習日に、チームメイトだったNさんの訃報を聞かされた。突然すぎて驚きしかない、その場で体が固まった。特大号のショックだった。

一昨年の12月末に行われた団体戦を最後に、彼女はチームを離れ、すべての練習会も辞めた。バドミントンの起点であったサークルだけ残して、週一回、純粋にバドミントンを楽しむようにしていた。

私がバドミントンのドアーを叩いたのもこのサークルだった。初心者歓迎、どこのバドミントン連盟にも登録してなくて、運営コンセプトは和気あいあい、健康のために楽しいバドミントンであるのだ。

私はここで彼女を始め、気持ちの暖かい仲間達に出会った。

彼女はとても明るくて、いつも笑っている印象しかなかった。彼女がいるだけで周りの雰囲気が賑やかになり、エネルギーがどんどんつくられるような感じだ。

私が練習の場を求めっているうちに、サークルへ足運ぶ間隔が広くなり、気づけば幽霊部員になったが、共通の仲間から彼女は相変わらず元気でバトミントンを楽しんでいる便りが定期的に届きていた。

彼女はサークルに行っている、行けば彼女がいるという安心感があった。そのうち皆を会いに行くわ、それに春先、卒業式、入学式に体育館が利用できない時、彼女はいつも「大人の遠足」を企画してくれる、久々に会ってないバド友もその時で良いと思っていた。

それが何時でも会えるから、何時でも会いに行かない、そしてもう一生に会えなくなった日が突然に訪れた。

こんなことは珍しく何ともない、この年になればとくに分かっていた。しかしいざと現実につけられると心が痛くて堪らなかった。

皆で彼女を送ったまもない頃に、東京の桜のつぼみが膨らむ頃、Hさんが「大人の遠足」を彼女から引き継いで行った。

当日、彼女が逝ったではなく、今年は彼女がたまたま不参加だけのように皆の談笑が止まらなかった。帰りに彼女の分を含め、参加できなかった人達へのお土産を買って帰った。

春が過ぎて夏が来たこの頃、今週は体力が余っているからふらっとサークルへ行った。運よく自分が入った頃のメンバー数人が来た。多分もう八十歳になったおじいちゃんの技あり、少し意地悪ショットはなお健在、OLでなかなか来られないエレガントのOさん、怒らないとにかく優しいHさん、皆さんは元気でいつもと変わらなかったことが嬉しかった。

帰り際、皆が互いに「またね」と言って別れた。名残惜しいそうに感じたのは私だけかもしれないが、今日来てよかった。それであの時行けばよかったという後悔を一つ減らした。今日を生きようってこういう事だ。

皆がやっているから自分がやらないと不安になることはありませんか?

ここで言っている皆とは、自分と同じ所属しているコミュニティ、集団のことです。

自分の経験だと学生時代に本当は放課後に遊びたい、しかし周りの9割の人が塾に通っていて、自分も行きました。この状況は仕方がないだと思いました。

そもそも勉強は苦手、学校での授業は出来ないことが多すぎてテストに良い点数が取れない、それに優等生も行っている、こんな私では行かない勇気はありませんでした。

成績のことだけではない、もう一つプレッシャーは行かないと塾話題に入れない、仲間はずれの淋しさがあります。塾に行く道中でお友達とかき氷を食べたり、小腹がすいたら屋台料理をちょっと食べてだべるのも結構楽しかったです。

所属するグラブチームの仲間に聞くとだいたい週2,3回を練習のがほどんど、自分も同じぐらい。フリーの練習会に参加すると、参加者の中で自分のレベルでどのぐらいの位置にいるのが分かります。あの人のように上手くなりたいなあと思うと真っ先にもっと練習回数を増やすほかないと思ってしまいます。そうなると妄想モードがスイッチオン、上手な人はきっともっといっぱい練習していると決めつけ、対等に歩き渡るには今のままじゃ駄目だと、時間はあるからとにかく頑張って練習しようと。

数年が経つと、練習量は上手になる要だと考え方は変わらないが、それ以上に重要なのは練習の質ではないか、この質より量の考え方の変化で同調圧力が減りました。

切磋琢磨でバド沼に嵌まる仲間と共に上手になるが、切磋琢磨は単純に競争相手的な考えではなく、競争意識よりもお互いは協力的なスタンスで一緒に取り組むほうがモチベーションが上がります。練習の質も良くなると思います。

競争から協力への発想転換で心が軽くなり、今週はこのぐらいしか練習していないから生じる不安も消えつつ、とは言え、自分の中では週3の練習を確保したいところです。

沖縄でコーチに逢えって本当に嬉しかった

私はバドミントン教室で出会った沖縄出身のNコーチが最初のコーチだった。彼のコーチングは何故こうするのか、自分がこうして習ったからこうなるではなく、はっきりした理由を生徒達に伝える。私はこの教え方に信頼し、自分には合っている。教室以外に、彼が主催する練習会を積極的に参加した。私達の合宿要望にも応えてくれた。

二年前のある日、彼が地元で自ら立ち上げたチームに戻ると生徒達に伝えた。目標はバドミントンS/Jリーグに参戦だ。チーム名はブルファイツ、しかも沖縄県初バドミントンクラブチームだと初めて知った。https://ryukyu-bullfights.com/

私には夢を持って果敢にチャレンジャーするコーチのことを輝かしく見えた。

気さくな人柄、休憩時間によくひと言、二言に雑談をした。その一つは、那覇空港から車10分ほど長瀬島と言う新しい複合観光施設があって、チームがその中にある「ヨナーズガーデン」レストランとコラボ企画をやっていると教えてくれた。

同年の9月に、私が2泊3日で与論島の友人宅を訪ね行くことなった。帰りは那覇空港で2時間半待ちの羽田便を乗り換えなければならない。せっかくだから、コーチが言ったレストランを夫と行った。

是非ともコーチが絶賛したガーリックライスとステーキを堪能したい、注文に来た若い男性スタッフに、唐突を知りながら、もしかしてブルファイツの選手ですかと聞いた。

違うとわたっかあと、私はNコーチがついに最近まで東京で教えた生徒の一人と自己紹介した。

観光気分満々の私と夫は料理来る前にテラスに出て景色を見たり、ビールを豪快に飲み。しばらくして席に戻って料理が来た。

「Nコーチはちょうと近所にいる、こっちに寄るよ。」

「本当ですか?嬉しい。コーチに電話してくれてありがとうございます。」私は満面の笑みでイケメンスタッフにお礼。

数か月ぶりに会ったコーチはとても元気で、少し焼けた印象はあっただけだ。

事前に約束がなく、会えない前提に来てまさか逢えたらなんで、自分にとっては最高のサプライズであり、旅の思い出になるプレゼントだ。コーチの心遣いに感謝だ。

あれからあっという間に二年が過ぎだ。SNSを通じてブルファイツを陰ながら応援している。あの日にレストランで食べた美味しかったガーリックライスとステーキもまた食べに行けたらな。

何しに与論島へ?まさかのバドミントン

二年前の九月、数年ぶりに与論島の友人宅で行う大型バーベキューに参加した。九月の与論島、昼間は灼熱の島、夜は時折の海風が涼しさを運んでくれる。星空の下、広々とした芝生で賑やかな宴が真夜中までに繰り広げられるのだ。

与論島の海はとても美しい、私もこの美しさに魅せられた人だが、マリンスポーツに全く興味がない、ここに来たら思う存分に美しい海を眺め、日が沈んでから癒される波の音を聴きながら砂浜を散策、あとはメインイベントを楽しむのが今までの与論島旅スタイルだ。

しかしこの年はこれではちょっともったいないと思った。バドミントンは出来ないかなと思った。

もう行くと決めたから、聞いてみるべきだ。そこで思い立ったら行動だ。早速友人を通じて、現地の方にリサーチするようをお願いした。

なんとなんと、高校生のバド部がちょうと私達が滞在する二日目の日曜午後に練習がある、飛び入り参加を受け入れてくれそうな連絡が出発前にメッセージをもらった。

最初は飛び跳ねるように嬉しかった。あとから冷静になって、ちょっと待ってよ、高校生に接待してもらわなければ無理でしょう。でも現地の方がせっかく聞いてくれたし、私が皆の練習に邪魔だけと分かっていても、いまさら陣地脱走のようなお断り方も良くない、やはり行ってから臨機応変に対処するほうがいいではないか。

当日のお昼過ぎ、友人が体育館まで連れてってもらった。

立派な体育館だ。

自己紹介のあと、早速基礎打ちに。初対面のおばあさんに可愛い女子高校生が少し戸惑ったようだ。私は雑談力があったら場を和ませたのになあ。でもここはシャトルを借りて会話するのだ。

相手の返しやすいところを打ってあげてね。

バドミントン教室のコーチが言ったことを思い出した。

どう?このスピード?

ありがとう、大丈夫よ。

シャトルからの伝言が聞こえてきそうだ。

シャトルが高く飛びすぎたり、取れるコースを大きく外れたりすると「すみません」と声出して相手に言う、次第にコミュニケーションが取れるようになった。

男子は普通に強い打ち方をしていて、休みの時に私の目の保養になっていた。最後は顧問に頼んで、顧問と組んで男子一年生とゲームした。

二時間で爆汗をかいた。熱中症の気配もなく楽しかった。

与論島は四十分の飛行機で沖縄に行けるが、行政区分は鹿児島県なので、大きい大会は群島試合から、奄美大島でやるとこの時に知った。

この日の夜、美味しいお酒を片手に、今回の二泊三日与論島旅に参加した知り合い達にバドミントンをやらないかと誘った。

サーブのよし悪しを言う前に、先ずは100%相手のコートに入れる

バドミントンの試合はサーブ側がサーブしてから始まる。ダブルスはサーブする人がシャトルをネットを越えさせて斜めの対面ハコに、イラストの通りだ。

もしサーブする人はシャトルを赤ライン内に入れたら、あとは受け側がどう処理するかになる。例えば、返球できなかった。あるいは来たシャトルが赤ライン内に入っていないじゃないかと判断、あえて返球しなかった。これは受け側の判断ミスなので、サーブ側に1点が入る。

逆に、サーブ側がミスしたら受け側に1点が入る、サーブ権が対戦相手に渡す。

サーブはプレッシャー

バドミントンのダブルスに、もしサーブ専門ルールがあれば、つまりサーブに関してはパートナーに任せて、自分はサーブしなくてもよいならしないかもしれない。凄いプレッシャーだからだ。

サーブがネットの上に高くなったら間違いなくパッシと叩かれて相手に1点献上、しかし、サーブがネットの上にギリギリ通過して受け側の陣地に落下したら相手が取れなかったり、あるいは甘い球が帰って来てこちの絶好の攻撃チャンスになる。

ショートサブ、ロングサブ、コース、サーブスピードなどの組み合わせがある中、サーブは仕掛けの武器だ。我ら底辺で競い合う中高年おばさんの試合なら、サーブで3、4連続得点はよくあることだ。

どんなことって言うと、自分のサーブミスで相手に1点をあげる、相手からのサーブが3回とれなかった。極端に言うと、相手が一歩も動くことなく4点をゲットした。試合全体で言うと、3球目が生まれなかった。バドミントンはシャトルを打ち合い競技だから、これはバドミントンをしていますかと突っ込まれても返す言葉がなく、笑ってごまかすしかないでしょう。

サーブによる連続得失点は目立つだけで、自分の試合は統計してないからはっきりした数字は言えないが、パートナーと合わせて平均3、4点あるじゃないかなあと思う。21点の中に、相手が何もしないでこちらから点数を差し上げていた。自ら勝ち率を落としているのだ。

弁解するではないが、試合終盤に僅差になると、シャトルを持つ指が震える経験はあった。それで1点負けの試合になったことはトップ選手も同じだ。

しかし、厳しい場面で甘いサーブするとギリギリラインを狙うサーブはどちらにしますか?

勝負師なら後者かもしれないが、我々は前者を選ぶ、最大の理由は相手が頂き球をミスしてくれる可能性があるのだ。

だからとりあえずシャトルを相手のコートに入れるのだ。

悔しさがあるからまた頑張れる

十分の一の力も出せなかった負け試合が悔しい、十分の一の力も出せてなかったから当然惨敗だった。

この日は仲間の運転で私が助手席に、二人だった。

出発時に今日は頑張ろう、帰りはまた頑張ろう。負け内容が悪かった分に反省材料が尽きない、車内で会話が盛り上がる。

「バドミントンは本当に難しい、練習で手応えを感じると嬉し、でも試合に出ると全く通用しなくて、ああ、練習が足りない、もっと練習しないとねの繰り返しよね!でも練習時間を増やせても体がついていけてないが現実だし。どうしたらいいかしらね。」

A子さんの声は明るかった。嘆きの中にも前向き感がある。

「本当にそう思う、まあ、無理のない範囲内でやり続けるしかないかもね。実際1年前と比べれば上手になったからね。問題は年齢による体力の低下だ。私達はラケットを置いて超つまらない、苦しいフットワークと筋トレを練習メニューに加える方がいいかもね。」

「子供がやっているようなものですか?」

「やれたらやってもいいじゃない。まあ、でもやっぱりやりたくない。やったら一週間寝たきり状態になるね。」

私はA子さんの質問を真剣に答えたが、彼女は笑いを噴出した。

「そうなら、家事、バイトはお休みになるけど、家事代行サービス代はへそくりから捻出しないといけない、バド代もひびく、家族に顰蹙を買うわ。家内平和の危機を招くリスクあるね。やめよやめよ。」

二人はげらげら笑いだして、私はA子さんの発想に負け試合の悔しさが幾分に和らげた。悔しさがあるから頑張りたい気力が湧くと思う、ならば、悔しさはモチベーション上げサプリと言える。今日はモチベーション上げサプリを飲んだ。苦いけど仲間がいて良かったことを改めてしみじみ感じる。

しとしと雨の中、渋滞なく車がスムーズに走る。エアコンをつけないとフロントガラスが曇る、半袖のウエアー1枚では少し肌寒いが気持ちいい。たわいない車内会話は30分続きで彼女が車を家の前に止めてくれた。お互いが明るい声で「またね!」を言い、私は車から降りて彼女を見送った。

コート外で鑑賞する高速スマッシュは拍手喝采を送る、受けるとビビりまくる

男性陣がいるクラブチームに入っている。彼らの対戦に惚れ惚れする。際どいコースを狙う、レシーブする。強烈なスマッシュを平然と打ち返す、おばさん組の目には「かっこいい!」しか映らない、それとあのように打ってたら楽しいだろうねと羨ましそうに呟く。

混合ダブルスの試合に参加することもあるから、よく誰かと組んでゲーム形式で練習する。まあ、正直に私と組む場合、パートナーと相手にとっては遊ぶ、練習にならない。でも私には練習になる。付き合わせてもらうに申し訳ないと感謝だ。

若かったごろには言ってみる、お願いしてみるが苦手で、中高年にった今はわりと言えるようになった。まあまあ他人本願に甘える。この男性陣の力を借りて少しでも技術力の向上に繋がりたいだ。

だから対戦相手の男性にスマッシュを交えて若干厳しい球をくださいをお願いする。

ここでは「若干」をリクエストする。目的は徐々に慣れることだ。

快諾してくれた。

いざ始まると、パートナーが相手に高く上げた球は、私のお願いしたスマッシュが来ると予想する。自然とラケットを強く握る、これは絶対にダメと分かっていてもそうなる。ビビりまくっているからだ。私にとっての高速球は目から逸らしたくなる、それだけではない、一回目は体を回転して背中を相手に向けた。きゃ~は口から出なかったが、明らかに逃げた。

場外は笑いが起きた。

チちゃん頑張れ!爽やかな応援声が聞こえた。

私は明るく、悪い、悪い、次は絶対に取るからと相手に言った。本気度を示すと気遣ってほしくなかった。

ラケットの面が強いスマッシュに軽く当てるだけで球がポンと返せる、問題は当てるタイミング。

この日のゲーム形式では一度も出来なかった。基礎打ちの時は出来たのになあ、平常心を保てないから歯がゆいもあるが、素早く動いてレシーブの準備に入ってないが根源だ。この課題は改善したいと抱いたままに自転車のペタルを踏み、迎え風を切って帰宅した。

カーテンを閉める夏の体育館は蒸籠のようだ

夏、エアコンのない体育館でバドミントンをするのは自虐行為だ。バドミントンが好きな人は毎年そう思いながらバドミントンをする。暑いだからやめたりはしない、今日は暑いね、この暑さはやばいね、去年はこんな暑かった?暑さの感想を言いながらラケットを握ってコートに立つ、シャトルを追っかける。

立ってるだけで汗が湧き水のように全身の毛穴から噴き出す。ウエアーはあっという間にびしょ濡れ、水分補給は欠かせない、塩飴も、保冷剤を持って来る人もいる、それぞれの暑さ対策こうじてバドミントンをする。

好きだからだ。

好きだから自ら蒸籠のような体育館へ行き、私はお饅頭かショーロンポーか?

でも仕方がない、体育館でないとバドミントンが出来ない、夏でもバドミントンを楽しみたいから暑さを我慢、逆に言うと暑ささえ我慢したら夏でもバドミントンを楽しめるのだ。何か得れば何か失うという鉄則だ。

今日だって朝起きたら迷わずにバドグループのラインに練習会参加するをポッチと、時間は12:10-15:20、ああ、一番暑い時間帯じゃないか?そうだけど、メリットを考えたらどうだ?爆量の汗は拭けばいい、汗はデッドクス効果があるのだ。汗を出すためにわざわざサウナへ行く人いるでしょう、この蒸籠のような体育館はサウナ並みだ。それに帰宅後のビールは最高だ。運動後の疲れはビールの美味しさを何倍も増幅してくれる、この至福の瞬間が得られるのよ、一日一回の至福の瞬間が得られたら幸せでしょう。どう考えてもコスパが良すぎる。

どう、蒸籠のような体育館へ行きたくならない?バドミントンをしたくならない?

対戦相手の立ち位置とラケットの構え方が見えない、老眼だから?

50歳手前にバドミントンを始め、最初にあれ~と感じたことは足が素早く一歩前に、後ろに動けない、それに歩幅が小さい。もともと走るが苦手で、健康のために運動しようなら、ジョギングの選択肢は私にないとはっきりに言える。バドミントンを選んだ動機も健康のためではなく、純粋にやってみたかっただけだ。

始めて数年が経ったごろ、チーム内で試合練をしていると先輩がよく人のいないところを狙ってくださいと言った。もうすぐバド歴10年になる今は、言われる回数は減ったがまた言われている。ここはポジティブに進歩したにしよう。

人のいないところに打つのは分かっている。問題は人のいないところってたまにしか見えない。

そのたまにってという時?

例えば対戦相手の二人が右側に凄く寄っている時だと左側がはっきりガラ空きに見えるのだ。

そんなのは当たり前でしょうと突っ込みたいあなたに弁解させてください。

コートに立ってれば無我夢中になる、私の場合は最初の2,3年にこの状況をすら把握出来ていなかった。だからたまになるのだ。

加えて対戦相手のラケットの構え方を見ることだと、これは完全に見えないのだ。

すべては老眼が進んでいる、動体視力が弱いにしたいが、真実ではないのだ。

確かに視力の低下は飛んできたシャトルの軌道を速く捉えない、だけとそれは対戦相手の立ち位置とラケットの構え方に見えないとは別問題だ。私より年下の上手な先輩達に聞くと、はっきりくっきりは見えてないよ、だいたい見えてるぐらいだよと回答した。

そうか、だいたいでいんだ。だけど、私はだいたいという程度にすらいかない、どうすればだいたい見えるようになるの?この極めて重要なことに。

先日、この壁というほどの悩みをコーチに聞いてみたところ、高く飛んで来るシャトルを見すぎているかもしれない、要するに目線がずっとシャトルを追っかけっている。相手が打った高くて遠い球なら、飛ぶ方向がだいたい分かっていて来るまでは時間がかかる、それで相手が一瞬に見えるとコーチが教えてくれた。

私はテレビで見た山口茜選手を思い出した。彼女は確かに高く飛んで来るシャトルを見て、相手を見て、またシャトルを見て打つ、凄く余裕があるに見えるのだ。

あの~世界のトップ選手の真似は無理でしょう。

無理ですね。鑑賞のみですね。そもそも真似したいとも言ってない。

しかし、よく考えてみたら、私がいるステージでの競争なので、自分はどのあたりにいるかは分からないが、楽観的に真ん中あたりにいると仮定すれば、同じ悩みを持つ、同じ壁にぶつかっている人のが大多数だ。上手な先輩達は「だいたい」を言っているし、自分も「だいたい」を目指せば十分じゃない?

そうだ。コーチに練習法を聞くのだ。

バドミントンのとんでもない二面性に気づき、対処できる気がしない

相手が取れるように優しく打ってあげてください。練習だからね、シャトルが何回もお互いの所に行って帰って来るようにラリーしてください。

バドミントン教室の男性Aコーチの言ったことを深く記憶している。

重さ5gのシャトルをなるべくラケットの中央に当てて、真っ直ぐに飛ばすにはラケットコントロールが重要だ。もしお互いが打ったシャトルがあちこち乱飛行、相手が返せないまま落地すると、シャトルを拾ってやり直すことになる。このような場面が頻発すると、もはやバドミントンとは言い難く、シャトルを拾う会になる。

これじゃ楽しくならない。どちらかがもうやめようと切り出すことが目に浮かぶ。

しかし簡単そうに見える打ち合いは、初心者同士がやると本当にラリーが続かなくて、すみません、すみませんの連発になる。この状況は相手が打ちやすいところへ返す練習をするにつれて徐々に改善されていくのだ。

ところで、試合形式の練習会へ行くと、試合だから、点数を稼ぐには相手の取れないところへ打つように切り替えなければいけない。

そう、Aコーチの「練習だからね」と言った言葉がコーチング解読の重要ポイント、言い換えれば練習ではなく試合であったらどうなるのか?

打ち方、考え方は正反対になる。思いやりはいらない、いるのは意地悪、恋人同士が大好きと言った後に大嫌いと言うのと同じことだと私は思う。その変貌ぶりは何?と聞きたくもなる。

私はバドミントンの持つ正反対の二面性に魅力を感じているかもしれない。俳優ならプライベート以外の色んな役を演じる機会がある、私にはない。日常生活に多かれ少なかれストレスがたまる。バドミントンの試合には合法的に意地悪さを発揮できる。あるだけの意地悪さを存分にさらけ出すほうが拍手をもらえる。うんん~、なんか人間性が試されているような気がする。

ただ、練習時は相手がシャトルを取れるように打たないと練習が成立しないため、自然に相手のいる所へ打ち返すことを身体が覚える。身体が反射的にこのように反応する。試合と練習では正反対のことをやるだなんてある意味では器用すぎる。

今の私は対処できる気がしない、そうですね、だからまだまだ下手で伸びしろがあると考えるしかないのだ。

負けた試合に落ち込むだけではもったいない

バドミントン試合の前日に口にした悪いシナリオが現実となった。

それは自分の中で凄く凄く重要視をしていた大会でトーナメント戦の一回戦敗退を喫したことだ。言霊は恐るべし。

同じペアと組んで先月の大会で優勝した波に乗りだかった。一方、一筋縄にはいかないと心の準備もあったが、1点差負けで一回戦敗退の瞬間は平然な顔で結果を受け止め、ペアに自分のミスで足を引っ張だとお詫びするのが精一杯だった。

ペアはジュニアのコーチをされていて、チーム内の練習も皆に教える存在だ。この2大会を通じて私は彼女からたくさんの事を学べた。本当にありがたかった。

こんなはずじゃなかった結果はメンタルに来る、場合によって暗闇のトンネルに入ったとうになかなか出られない、この状況に陥るには金字塔の上にいる人と最下層にいる人共にある。その深刻さの度合いは上にいるから軽い、あるいは重いではない、どう受けとめる、受けとめったあとはどう出るのがカギだ。

負けた試合に出来なかったことを気つけたら先ずはひと収穫だ。この出来なかったことを出来るようにすれば、「出来た」の喜びと自信になる。自己肯定感だって高まるだろう。

だから負けた試合を目からそらして挫けた心を時間で癒すではなく、時間で癒すにはタイパが悪すぎてもったいないのだ。萎えていても問題点を見つけ出し、時間をかけて次試合の楽しみを自ら作って増やすのだ。それが成長に繋がるだな。

ところで、私のバド技量は言われなても不足点満載と自覚している。それはそれで分かりやすい、一分間で改善点をスラスラ十個を書き出す自信がある。

ならば、こういう考えが出来る。次回の試合に一つの改善点をクリアしたら一つの楽しみを手に入れるとカウントすれば、実に数多くの楽しみが私を待っている。

それを掴むに行くかどうかもすべて自分次第、そう思うとモチベーションが高くなった。

自転車なら駐車場の心配はいらない、トレーニングも出来て、一石二鳥だ。

家は坂の上にある。駅からの帰り道は平坦な道路を始め、次は150メートルほど緩やかな坂を上って一曲がりして、更に二段階の坂を上って辿り着く。この道を徒歩か自転車かで通るなら、私に言わせれば山登りだ。

バドミントンに利用する近場のいくつかの体育館は自宅から3-5㎞ほど、数年前までは車で行ってた。

バド歴と年齢が共に一年つづ重ねていくなかで、この二つの現状をチャットで表現すると、両者はかなり開きのある右肩上がりしている。実感としては、年齢は毎年必ず一つ上がるに対して、バド力は僅かに上がるってことだ。

それでも感謝だ。後々は年齢が右上がりにバド力は心臓停止の心電図のように横線に、その後は右下がりに転じるのだろう。

この必然的なことを遅らせたいに考える。筋肉量についてもう少し考えたほうがいいのでは?

いくつになっても筋肉は鍛えられる、筋肉を鍛えた分に裏切らないらしい。私のような中高年の女性が熱心にバドミントン練習をすると、バドミントンに必要なトレーニングを取り入れないと身体が思うように動けないと分かるが、苦手を超して苦痛ほどだ。

そこで交通手段に目を付けた。少しでも脚力増強をしたい、近場の移動なら快適な車を止めて自転車にした。

ヘルメットをかぶり、バド道具を背中に行き、帰りにペタルをこぐ。

始めは五分をこいだだけで太股がズキンズキンと、一こぎが重たく感じた。体育館に着き、バドミントンをする前に足もう疲れていた。今度は自宅を目前にするあの上り坂に泣かされる。

ここは意地でも自転車をこぐ、ハンドルが左右にぶれでも頑張って一こぐ、これがトレーニングの一環だと決め、けっして足が地に着き押して帰らない。

雨天以外、季節に関係なくこのスタイルで続けている。5㎞ぐらいの距離に短期間で慣れたことはまた驚きだ。

そして自転車の自由度の高さにも気付かされた。車には駐車場に悩まされることがあっても自転車にはない。体育館なら駐輪場は無料で駐車場は数百円かかる。節約した駐車代はほかの物を買うとなんか得した気分になる。普通の自転車だから、電気も使てなく環境にやしい。

一石二鳥だけにとどまらず、いいこと尽くしだ。

桜が咲く春に、川沿いの桜並木の下に自転車で走る。そよ風が肌を撫でる、週2、3通るから高確率で桜吹雪に遭う。猛暑日、残暑きびしい日にも桜並木の木陰に助けられている。冬の寒さにむしろへっちゃら、強風こそ最強の敵だ。

「このぐらいの距離ではトレーニング効果が薄いと思うよ、たまにもう少し距離を伸ばした方がいいのでは?走ろうよ。」と半年過ぎたごろに夫が言った。

その後、彼の誘いに乗せられ、始めて往復数十㎞を走った翌日にバドの練習がなかったことに幸いだった。

嬉しい泣き、もらい泣き

三位決定戦に勝った瞬間、彼女達の喜びは頂点に達した。勝者サインをした後、応援する仲間の所に駆けつけ、長身のA子さんは真っ赤な顔にして涙が溢れ、小柄の私は彼女を両肩を抱き、背中を優しくポンポンと叩いた。

「良かった。本当に良かった。コーチが一番嬉しいと思うよ」私はA子さんの嬉しい泣きにもらい泣きをした。

A子さんのペアB子さんも目に涙が滲んだ。仲間らが彼女達を囲んで拍手をした。

昨日は地元のバドミントン大会のトーナメント戦だった。

A子さんとB子さんは昨年からベアを組んで4部の試合に。わけのわからない中で惨敗を喫した。

お二人のバド歴は十年以下、謙虚さを加味してここでは彼女達を初心者カテゴリーに。

A子さんは試合参加にいつも消極的だった。彼女は試合好きじゃないタイプかなと思ていた。しかし共に教室を通ってバドミントン談義をしているうちに、それは私の誤認かもしれないと気づいたのは、彼女が発した「試合に出るならちゃんと練習して上手になってから出たいね」の一言に思っていたことを改めた。

そうか、試合に参加したくないではない、負ける確率が高いなら出たくない、つまり参加する意味がある側に立っていない、どちらかというと試合に勝ちたい側の人だとか。

憶測せず、その場ではっきり確認しても良かったではないか?

確かにそうですが、私の直球すぎる性格は相手をいっらとさせる可能性があるに自覚しているから、ほかの人もいる時に気安く物事の核心に触れない方がいいと思った。

だが、私達はバドミントンを上手になりたいという共通認識、目標は確信済みだ。

根拠として、週1のチーム練習のほかにあちこちで練習の場を求めている。人によって複数のクラブチームに入っている。ちなみに私は現在三つに所属しているのだ。

A子さんとB子さんは昨年の苦い経験を糧に奮起した。バドミントン教室のほかに、チーム内で私ともう二人が賛同して月1のプライベートレッスンを取り入れた。

コーチは私達のバド熱に親身にコーチングしてくれている。

上目線のつもりは全くないが、彼女達は練習に対する意識が明らかに変わった。

自習練になれば時々上手な先輩に見てもらえるようにお願いする。指摘されたところは丁寧に何回もやり直しをし、体に覚えさせるために少しつつ復習を重ねて行った。冗談抜きで、高校三年間の勉強がこの姿勢でやり抜けたら東大合格したじゃないかと思うほどに頑張っている。

彼女達はグループ戦を全勝してトーナメント戦の切符を手に入れた。

正直に、グループ戦の全勝はすでに大金星だった。彼女達は口にはしなかったが、あと一歩前進したい気持ちは誰にも負けっていないと雰囲気でひしひし伝わて来た。

同じ道を歩んできた私は理解している。すべては自分自身の努力検証と違う景色を見るためだ。

三位を勝ち取れたは間違いなく努力の賜るものだ。

A子さんが我慢できずに嬉しい泣きをしたのは努力が報われたと極限の緊張感が解き放されたに共感する。

いつも一緒に練習している仲間として心底から拍手を送ると更なる上のステージへの応援をいつでもしています。

来年も一緒にいい景色を見よう!

仲間の勝利に目がうるうる

試合に勝利した瞬間、彼女達は両手を高く上げ、飛び跳ねてタッチした。

私はこの光景に目が少しうるうる。

彼女達は勝者サインを終え、待っている仲間達の所へ早歩き、皆とハグ、私は彼女達の目もうるうるに見えた。

一緒にバドミントンを頑張っている4部同士の彼女達は今年がペアを組み、今年こそ3部昇格にしたい、その目標に向けて練習に励んだ。しかし、前回の試合は残念な結果で終わった。今年に残ったチャンスはこの一回だけなのだ。

昇格の大原則は優勝することだ。今日、彼女達は第一関門のグループ突破、来週のトーナメント戦へ進む権利を勝ち取った。

同チームの仲間から見ればこの成果を出せたことに心から大きな拍手をしてあげたい。それと彼女達から感動をもらえたことに感謝だ。

共にバドミントン教室を通っているから、たまに教室の後はファミレスでお昼を食べながらバド談義をする。同じチームとは言え、やはり各自の事情と年齢でバド対する熱の入れ具合はそれぞれ違うのが当然。裾の広いところで争っている中高年バドの位置付けは、どちらかというと生活にメリハリをつけてくれるスパイスのようなものだ。年数回の試合はお祭り感覚が大きいかなあ。

昨年の前半、我々バドミントン教室の四人組は昼食でバド談義をした時、彼女達はもう少し速く上手になりたいなあとぼやけた。まあ、私達にとって「上手になりたい」は永遠の課題と常に口にしている事だからね。

ただ、私はその時の雰囲気が普段と少し違っていて、真剣さを感じた。

「コート問題がクリア出来れば、プライベートレッスンでも取り入れますか?私一人ならレッスン代とシャトル代は重いかも、ここにいる四人で分け合いなら。」

私はさりげなく言ってみた。

皆さんはそうでね、そうですねを数秒間の沈黙、一転して論議に入った。

その日のバド談義はいつよりも白熱した。

結論、私達は月一のプライベートレッスンを取り入れてみるにした。また、次のレッスンまでに教わったことを復習するように決めた。

そして4部の彼女達は組むことにした。私ともう一人はチーム内の1部の人と組んで2部に出て、共に優勝を目指そうとしていた。

あの日から、彼女達の練習の熱量がひしひし伝わて来た。今年に入って、チーム内での練習に誰もが彼女達が変わったことに気づいてた。

今回の試合が前よりもっと努力したの検証になるのだ。

ばずはトーナメント戦進出におめでとう!

そして明日のトーナメント戦に優勝を願います。

彼女達と私に。

一点差の逆転勝利が出来たのは運を引き寄せたから?

バドミントンの試合は三ゲームの二ゲーム先取が勝ちとなる。

私が必ず参加する地元の試合は今週にあった。恐らく体育館の使用時間の関係で運営大会はデュース無しの21点制に決めた。デュースがないから、泣いても笑っても先に21点を取った方が1ゲームゲットになる。そして各グループの一位が次週のトーナメント戦へ。

ということで、優勝を目指すならグループ突破が必須条件、このことを箱抜けとも言うのだ。

一つのグループは4チームの総当たり戦、今までの経験で言うと、箱抜けしたチームは全勝するのが多い、2勝1敗でサッカーのように得失点差による上がることは稀だ。

勝てる自信は何処にもない、自分より体格の良い相手が目の前にいるだけでビビりまくる体質の持ち主だ。常に最初から全力発進でファストゲームを取りに行くが、逆に取られた時点でファイナルゲームを繋ぐにはなんとしてもセカンドゲームを取らなければいけない状況に追い込まれると、そのプレッシャーは大波のように私を叩きつけるのだ。

それが試合と言うものだ。

私は一試合目に弱いタイプで、とにかく緊張して思うように動けない、ミスショットが頻発する悪い癖がある。とても致命的だ。

【三試合目】

もうのんびり出来る。

そして箱ぬけした。

山盛りの反省点を糧に次週のトーナメント戦へ。

恥ずかしさと悔しさあまりについ噓を

「お二人はバドミントンを始またばかりですか?」試合に負けた対戦相手に聞かれた。

咄嗟に「はい。」と答えた。パートナーが言う前に。

これは今年に初めて参加した試合のことだった。

初めて参加する大会なので、雰囲気もレベルも分からない、バド歴は年ごとに重ねていくがバド力は大して上がっていないことに自覚している。それとボコボコされたくないから一番下の4部登録で4部スタートした。

当日、組み合わせ表を見たら、4部は4ペアしかない、そうなると総当たりだけでトーナメント戦がないのだ。

楽だと思ったでしょうね、内心は少し嬉しかった。

だけど、のちに振り返った時、どうして3ペアと対戦することが楽なのか?その楽の意味って何?楽の根拠が全くないし自分にも説明ができないに気づいた。強いて言えば一勝できるじゃないかの気持ちはどこかにあったかもしれない。

結果、勝ったのは一勝ではなく1ゲームだ。(バドミントンは一試合3ゲーム、2ゲーム先取の勝ち)

力不足で負けたから仕方ないが、立ち直れないほど悲惨な内容だった。

ボコボコされたくないから最下層の4部に参戦、結局はボコボコされて終わり、5部があって欲しいかった。いやいや、参加したほうが間違い、無力感が頂点に達した。

その中の一ペアと対戦後、気さくな彼女達は気遣いながら私達に声を掛けくれた。

その会話の流れて、私の心をぐっさと刺された「バドミントンはまだ始めったばかりですか?」と聞かれた瞬間に複雑な思いが湧き出して逃げたかった。

そこに自分のカッコ悪さを粉飾したかったから、咄嗟に「はい。」とパートナーが答える前に言った。

相手は悪気がないと分かっている。自分の平常心が傾けってなければ笑い一言も言えたかもしれないのにね。

その場を離れ、パートナーと顔を合わせた途端に二人は失笑した。

「ちいんさんのあの『はい』は速かったね」

「当たり前でしょう、バドミントン教室を含めて少なくても週3の練習を何年もして来た実情は恥ずかしくて言えないわ。」

本心を隠さずにパートナーに言った。

その後、先輩から聞いた話で、対戦した3ペアは上部から降りって来た人のようだ。

シンニアのバドミントンは年齢区切りと部区切りがあって、小さい大会は部区切りが多いようで、4部が初心者、1部が上級者だ。しかし年齢は重要な考慮要素で、年齢により自己申告で上の部から下の部に降りられる制度が設けられている。

そうか、それが相手の足元にも及ばない理由の一つかもしれないだ。だからって何も思うが、心は少し軽くなった。仮にそれが嘘でも、噓も方便だ。

試合は勝ち負けだけではない、試合を通して人生学をいっぱい学べる。

単純に勝ち、負けなら、負け試合の方が普通で、だからたまに勝つと嬉しい指数がぐん~と上昇する。それがあるから三日坊主の私はバドミントンを続けてこられたと自分は思う。だけど、勝っても負けても晩酌の一杯のビールでリセットするのだ。

もう少し頑張りたいから、ビール一杯でリセットするスタンスに今回も変わらない。

もし地元にプロバドンミントンクラブがあったら

奥原希望選手がプロに転向するニュースを見た時、そうか、バドンミントンのワールドツアーで活躍している大半の日本選手、その実力はプロ級であるが、プロ選手と言えないのだと気が付いた。

そもそも今の日本はバドンミントンのプロリーグがない、選手が国内大会に参加する時は所属企業の代表として試合に、国際大会の時は日本代表だ。

私はバドミントンをやっているからもあって、バドミントン選手の活躍情報に関心を持ち、ライブ中継する数少ない試合にをテレビの前で釘付け、日本開催の国際大会に会場へ足を運ぶこともあった。

バド愛に溢れている私が、もしバド関連の何かあればいいよねと聞かれたら、この文章を書いている現在にふと思いついたのは、サッカーのJリーグ、バスケのBリーグのような地域密着型のプロバドンミントンリーグだね。

スポーツはやるに楽しい、見るに楽しい、皆で育てるに楽しい。

皆で育てるに楽しいとは、今の流行りの「推す活」みたいのことです。

どんなスポーツでもファン同士が試合を見れる場所に集まれば、一体感の空気がすぐその空間に満ちる。

今のは良かったね、今のはちょっと残念だねなど、皆が評論家のように分析したり、共感を持ったりする。

色んな見解はあろうが、国民を一体感にさせやすい平和なコンテンツはスポーツではないかな?

もし私が住んでいる自治体にプロバドンミントンチームがあれば、チームや選手を応援するために試合を見に行くでしょう。

試合はコンサートと同じ、ライブで見る臨場感が違う。テレビ中継のほうが見やすいことは分かる。こも臨場感を味わいたいからライブを見に行くのだ。

それに地元のチームが強くて、皆に愛されるようであれば、一住民としてはやはり誇りを持てる。

だけと、こうなるにはチームの努力だけは限度があると思う。多くの住民がサポーターの役割を担うのが必要不可欠だ。つまり自分もチームの一員、自分もチームに参加している感覚だ。

Jリーグの発足時に、スポンサーがチーム名になれないに反発したニュースに記憶がある。

例えばプロ野球のソフトバンクなら、スポンサーはソフトバンクと言う企業、チーム名は企業名と同じ。

一方、Jリーグの名古屋グランパスのメインスポンサーはトヨタ自動車、サッカーに全く興味のない人なら、名古屋グランパスと言うチーム名を耳にした時、トヨタ自動車と連想しないだろう。たまたまテレビで名古屋グランパスの選手が着ているユニフォームに「TOYOTA」を見た瞬間、始めてトヨタ自動車がスポンサーだと気付くかもしれない。だけと、このことは名古屋の人はみんな知っていると思う。

Jリーグは最初から地域密着に堅持した。もしプロ野球のように企業名をチーム名に、名古屋グランパスがTOYOTAグランパスになったら、サッカーを見てみようの名古屋の人々は、このチームを応援する熱量が下がるかもしれない。なぜなら、名古屋の人のチームではなく、トヨタ自動車のチームと認識されるからだ。

地域密着で選手がより身近の存在

地元のチームが練習を含め、地元で活動しているなら、住民と交流の機会が増えやすく、選手が身近の存在になり、親しみを感じ、ファンになりやすい。また、アスリートは最高のパフォーマンスを発揮、観客を沸かせる、喜ばせる視点でアーティスト、アイドルと似る、スポーツ競技もエンターテイメントの要素が含まれている。

想像しただけでワクワク、楽しい過ぎます。もし選手が身近の存在になれば、おばさんの私も選手にワンポイントアドバイスとゲームするチャンスが幾度に訪れるかもしれない。

Jリーグ初代チェアマン川淵三郎さんはJリーグを立ち上げた主要メンバー。Bリーグもまとまらない中で彼が尽力した。

「川淵三郎様、バドンミントンのプロリーグ立ち上げをお願いできませんか?」おばさんの寝言により。

チームユニフォーム買った

バドミントンショップは少ないだけではない、スポーツ専門店に設けられているバドミントンコーナーは明らかにサッカー、バスケより狭い、だからシューズ、ラケット、ウエアの品数も少ない。日本はバドミントン小国?

でも幸運な事に、私の地元は一間のバドミントン専門ショップがある。普段からお世話になっている。バドミントンのことなら気楽に相談出来て実にありがたい。

お店は年二回バーゲンを行う、みんなは期間中に必需品はもちろん、そうではない物もついつい欲しくなって財布のひもが緩むのだ。

バーゲンセールに弱い、バドに頑張っている自分にご褒美、バーゲンセールチャンスを逃すか?

そんな中で、検定品の新しいユニフォーム買わないかの提案があった。

いいね、いいね、多数のいいねの声が沸き起こった。

早速、お店からカタログを借りて来て検討に入った。

ここでバトミントンのユニフォームについて少し調べた。日本の大会なら日本バドミントン連盟の審査合格品を着用するのこと。服装に厳しくない大会なら審査合格品でなくても大丈夫みたいです。

同じメーカのウエア、審査合格品が高い、カタログに緑色のシャトルマークのあるものが該当する。

これ可愛い、これ強そうに見える、色は青系がいいなあ、クールっぽいもいいじゃない、これなら他のチームとかぶらないかも、それぞれの一言に対して瞬間いじる、瞬間に笑いが起きる。

愉快で楽しい、しかしどれでもいいとはいかない。

着るものはその人のセンスを表す、着るもの一枚でテンションが上がることはよくある。だからそうそう簡単に決まらない。

それに皆で共通の一枚だけ買うと言うのは、一枚しか選べない、それにせっかくみんな同じものを着るから、一番のお気に入りでなくても、誰かにとってこれはないよねと言う物はNGでしょう。

ちょっと待って、これは絶対にないよねと言うウエアーはどんなウエア?

それは私がカタログをめぐって、インドのシンドゥ・プサルラ選手はいつもワンピースで試合する姿を思い出して、このワンピースは『可愛いね』を口ずさんだ時に、周囲から笑いと無理無理無理の連呼が起きたことがその答えだ。

確かに中高年のおばさんがワンピースのウエアを着て試合に出るのは、チャレンジを越して痛いと認める。

しかも実力の世界だから、対戦相手に痛々しい視覚で動揺させる戦術はゼロ効果でしょう。

私はこのワンピース可愛い発言の反動に、すぐさま可愛いと言ったが着ると言ってないに釈明した。

負け惜しみではないが、20代前半なら着て試合に臨む勇気はあったと思う。

バーゲンセール期間中に決めないといけない、皆の意見をまとめるに絶対NGポイントを上げってもらった。

ワンピースは論外、ほかに例えば、赤とピンクは少し入ってもダメ、蛍光色も避けたいだとか。

最後は白系、グリーン系、ブルー系からピックアップして、投票の結果は白地に水墨画調デザインの一枚に決めた。

まだ同じ物を着る他のチームと会わない視点から見ればいい選択をした。

チームユニフォームを着ることで試合会場でメンバーを見つけやすい、連帯感が生まれやすく団体戦に一助けにもなるのだ。

バドミントン教室のあとはよく場所移動してゲーム練

バドミントン教室は金曜日の朝9:15から11:50までだ。

誰かの車で相乗りしてスポーツセンターへ行き、仲間達はこのレッスンを金バドと略称する。

余談ですが、我々昭和のおばさん達が若かった頃に、非常に人気を呼んだ「金曜日の妻へ」というドラマがあった。

この友情と恋愛が絡み合うドラマは通称「金妻」、当時は流行語にもなった。

金バドは体を動かす健全なスポーツ、ヒット作の金妻と何の関係もないが、ただ日本語を簡略して言うのは昭和も令和も変わらない、時代に影響されないことはある意味では凄い。

本線のバトミントンを脱線したので戻ろう。

このバトミントン教室の前半は基礎コース、後半は応用コース、両方受ける場合は二枠分のレッスン料になる。

基礎コースは名の通りで、基礎だから基礎を習う、三人のコーチは丁寧にバドミントンの打ち方とフォームを教える。

その後の練習は二人か三人が一組になって、順番にシャトルを手投げと打つ、コーチはパトロールして生徒のフォームを直す。

自分が出来てると思っていても実際はそうでもない時が多い、そういう時、コーチは私の出来ていないポイントを大袈裟に真似して見せてくれます。

コーチのもの真似は分かりやすい上手い、いつも感心しているのだ。私にとってこのワンポイントレッスンがとても効果的で、即効性があるものだ。

しかし三日も経てばコーチに直されたところは綺麗さっぱり忘れるから、また元に戻ってしまう。もう自分は不器用で覚えが悪いだと素直に認め、根気よく反復練習しかない。これは私が基礎コースをずっと通っている理由だ。

基礎コースはまあまあ緩い、まだ疲れないのだ。

ダブルスのポジション取り、攻撃、レシーブなどのパターン練習を学び、実際の試合で活用できるようにするがこの応用コースの役割だ。

コーチが練習の内容を説明しながら実演を見せてくれたあとは、何人か一組になって練習を始める。

応用コースだから、皆さんは基礎打ちが出来ているのを前提としてコーチがコーチングするだが、四十数名の平均年齢が高い生徒だから、その日の練習が成立するグループがあれば、そうではないグループもあるのだ。

どちらにせよ、前半の基礎コースよりハードなので、終わったら足がおもりをつけているように重たくなる。出来るならば暫く座ってビール一杯を飲みたい気分だね。

だけど、ここではごくごくビールを喉に流す爽快感をひとまず我慢、バド道具を片付け、車に乗り込んで別のスポーツセンターへ移動するのだ。

金曜日は時々ダブルヘッダースケジュール!

バドミントン教室の後に行かさせてもらっているTグループの運営者達は60~70代、50代の私は若いと言われている。皆さんのバド歴は軽く40年ほどだ。だから10年未満の私はひよこに相当するだ。

ここでは一人のつわものを紹介したい。華奢な彼女は60代の保育士で、朝7:00前に出勤、一時間の仕事をしてからバドミントン教室へ、レッスン後は私の運転でこのグループでゲーム練、15:00前に保育園へ19:00までお仕事、帰宅後は家族の夕食を用意する。ほかのバド日なら、同じく家、保育園、スポーツセンターの行き来、バトミントンの時間をガッチリは嵌めってからその前後で仕事を入れているようだ。

誰もが彼女の体力に脱帽、言うまでもなく彼女は本当にバドミントンが大好きだ。コートに立てば軽やかに動く、鋭いショットで相手を突き刺す、私はいつも彼女から勉強させてもらっている。

そんなことで、Tグループがほぼほぼ金曜日にコートを取れて、私は元気はつらつの先輩達と楽しくゲームするのだ。

ここでの不思議は、皆さんは途中からもう疲れたと口にしながらやろうよとお互いに誘い合ってコートに向かう。

疲れたから休みではなく、疲れたからやるのね。

もう一つは健康だからバドミントンが出来る。もしくはバドミントンやっているから健康だ。

これはニワトリが先なのか、卵が先なのかのようなことかもしれないが、少なくともバドミントンをしていると、時に笑い声が飛び交う、お互いのいいショットを褒め合う、雰囲気がとても暖かくて、年なんか感じさせないし、マジ若い。

私って言うと、いつも家に入った瞬間に筋肉痛が全身を襲うだけど、お昼に我慢したビールを早速冷蔵庫から取り出してプッシュ!

ああ、何とも言えない至福が全細胞に染み渡るのだ。

週3のバドミントンがいい運動、週5はへとへと。なぜへとへとまでにやってしまうのか?

バド友に、週何回バドミントンをしていますかと聞きます。

週3の人は結構います。

週3のほうが一般的らしい。

これがへとへとバトミントンの実情。

  • 試合に参加している
  • 上手になりたくてのめり込む
  • バド友に誘われてついつい・・・・

試合に参加している

日本のバドミントン人口は裾広いと思います。子供から年寄りまで地域ごとから全国レベルまでに大小さまざまな試合を開催されています。

嬉しいことに我々中高年おばさん向けの地域の地元大会もあります。

皆さんは大会に参加したいからチームに入ったのか、チームに入ってから大会に出るようになったのか、この順番はそれぞれあるものの、大会に出て試合をするならちゃんと練習してから出たいという同じ思いが持っているようです。

ところで、バトミントンは体育館でないと練習が難しい、クラブチームは体育館の確保と全部員の都合で練習日を増やしたくてもハードル高い、簡単に増やせません。

でも中には練習する場所と自分の時間にさえあえば、練習したい部員がいます。そうなるとクラブチーム以外の練習の場を求めます。

私の地元なら、所属グラブチーム以外の練習の場を求めるのなら、いくつのルートがあります。

1、ビジターとして他のクラブチームへ練習させてもらいます。

ただ体育館の広さによって、設置できるコート数が決まっています。参加人数が多かった場合は当然クラブチームの部員が優先参加します。ビジターの参加は断れるかもしれません。

2、複数のクラブチームに入部します

ビジターとして練習を参加したいが、参加人数の制限で断れる可能性をなくしたいならいっそう入部してしまえば問題解決します。

一つを注意しないと物議を醸しだす人物になりかねないために慎重!

それは二番目以降に入部するクラブチームはどこのバドミントン組織に登録しているのかは要確認しなければなりません。

大会を参加するには、グラブチームの一員として参加するか、フリー参加ができるならフリーで参加することもあります。

もし大会の主催者はバトミントン組織であり、参加者はその組織に登録しているクラブチームがメインになります。

入部したい二つのクラブチームは同じバトミントン組織に登録している場合、いざ試合に参加すると、どっちのクラブチームの一員として出場するかが問題視されてトラブルを引き起こすかもしれません。

なので同じバトミントン組織に登録しているクラブチームに入部しなければ、この人間関係のトラブルは回避できます。

3、クラブチーム関係なく、誰でも参加できる練習会に参加します

例えば、バドミントン教室、あるいは有志が場所確保を出来たから皆に声を掛ける練習会。

4、住まい地域のスポーツセンターのバドミントン開放日を利用します

バドミントン開放日とは、施設がこの日にバトミントンだけ使わせます。これには地域によってバドミントンの開放日が設定されていないかもしれません。あるのなら誰でも気楽に利用出来ます。

上手になりたくてのめり込む

スポーツは見て楽しい、やれるならもっと楽しい。

我々バドミントン大好きなおばさん達は言うまでもなく世界トップ選手の試合に関心を持っています。テレビ中継があれば見ます。好きな選手を応援すると拝むような気持ちで拍手喝采します。

選手のように打てることは非現実だと誰もが分かっています。

けれど、バド沼にはまっているおばさん達は選手の真似すら出来ない現実を見つめつつ、願いは少しでもいいから、今の自分より上手になる一心で練習を励みます。

実際、昔の自分と比べて今は何倍も上手になった実感があると練習に対する期待値が上がりますね。

だから週3の既定練習が本当は体にちょうと良いはずなのに、ここでもう一日が出来るになれば、少し強迫観念がしなくもないが、練習を優先してしまうことはよくあります。

その一日を増やしたことでこの週は4練になります。時々心掛けてセーブしないとへとへとの週5練になります。

バド友に誘われてついつい・・・・

個人的な感覚ですが、バドミントンで築いた人間関係は薄いけど、点から線に、線から面に繋がりやすいと思います。

それはいくつかの練習会を定期的に参加したら、参加者と顔見知りになり、バドミントン情報は容易に交換します。

そんな中で、また違うところの練習会に誘い合ったりもします。

行ったことない練習会に誘われたら、人にもよりますが、私は都合が良ければついつい参加させてもらうタイプなので、そうなればこの週のバドミントンが4練,5練になるのもあります。

言うまでもなく代償は体がへとへとでございます。

バドミントンの中高年初心者こそコーチに教えてもらう

学びたいことは独学で出来るものはありますが、体を動かすスポーツになれば我流は限界があると思います。

私は中高年になってから始めてバドミントンのラケットを握りました。この競技に関しては本当に我流ではどうにもならないと痛感しました。

バドミントンをやったことない人から見れば、バドミントンはお互いにシャトルを打ち合い、来た球をラケットにあってて相手に返せば成立するというイメージを持たれているかもしれない。

確かにお互いのシャトルの打ち合いだ。

こういう競技だからね。バドミントン試合になれば、初心者であろうか世界トップ選手であろか同じくシャトルの打ち合いになるのだ。

問題は相手が打ってくるシャトルを当てられますか?返せますか?

初心者同士なら相手に打ちやすいところへ打ったつもりでいても、シャトルコントロールが上手く行かず、相手が取れそうにないところへ飛んでしまう光景は本当によくあることだ。

シャトルの打ち合いよりもシャトルの拾い合いになるのだ。

いわく、Aさんがこんなじゃ取れないよ、もっと真っ直ぐに打ってくださいと言った。

Bさんは、いいや、真っ直ぐに打ったつもりがこうなっただけと答えた。

そうなんです。

5グラムのシャトルはとても軽い、それを高く遠く飛ばす、落とす、鋭利の角度で相手のコートに突入させる、更にスピードを加えてコントロールするには実に難しいことだ。

私は中高年になってバドミントンをやってみようと思ってやって見たところ、もう何年が経ったにもかかわらず今でもこのスポーツの繊細さに苦労しているのだ。

やり始めて一年が経った頃にバドミントンの奥深さを感じて悩み出した。悩み解消するにはコーチに教えてもらわなければ無理だと思った。

調べてみたら幸運にも地元のスポーツセンターに初心者向けのバドミントン教室があった。早速申し込んだ。

レッスンは平日の午前中のため、生徒さんはほぼ私のような中高年の女性か、元気なお年寄りの男性数名だ。

本当に初心者向けのバドミントンレッスンだったから、初回はラケットの握り方を始め、手首を回転してラケット振りを丁寧に教えてもらった。

私は本当にこれを求めていたのだ。

次は二人一組で手投げのシャトルを交互打つ練習だ。

それが打って見たところ、違和感を覚えた。上手く言えないが、何かが違うのだ。

コーチの解説をしっかり聞いていたはずなのに、コーチの実演を見て自分は再現できると思ったなのにね。

自分の運動神経を疑いぐらい出来なかった。

その時、バドミントンは繊細なスポーツだけではなく、ちょこちょこ教えてもらうだけで簡単に出来るスポーツではないと思い知らされた。

だから一期10回のレッスンを受けただけで初心者から中級者にることは当然なかった。

むしろその先は中級者になれるのかに疑問を抱いた。

私はいったん教室を離脱したが、その後は通える時間が出来たからまた復帰した。

教室の筆頭コーチは変わらないが、新しい2名のコーチが来てくれた。またどのコーチが来られなかった時は代行コーチが来てくれる。ある意味では違うコーチの指導も受けれるによって、自分の考える幅も広がると思う。

数年のバド歴でもやはり基礎コースを卒業出来ないのですかと友人に聞かれたことがあった。

そうなんです。私は未だに卒業が見えないのだ。

私だけではなく、私より上手な先輩達も同じ基礎コースを受講している。

彼女達に理由を聞くと、せっかくだから、一時間半の応用コースはもの足りないだそうだ。

私の場合、綺麗なフォームで打ちたい、ショットの精度を上げたい、だから基礎コースは不純物を取り除くような必要不可欠な練習なのだ。

しかし不器用だからかもしれないが、綺麗なフォームと高レベルのショットは今でもほど遠い、ゆえに卒業が見えないのだ。

教室に通う皆さんはバトミントンが大好きで、レッスン中に何故こうなのかという疑問があればコーチに聞くのだか、日頃のバド談義はああじゃない?こうじゃない?ああした方がいいの気がします。こうしたらもっと良くなるかもしれないねとたくさんの意見交換します。

その何故なのかは理屈面で、バド友との意見交換はコーチの教えを定着するための補足資料のようなものだ。

また練習会で頑張ってやると体のあっちこっちが悲鳴をあげるのだ。しかも淋しいことに回復するまでの時間が思う以上にかかるのだ。

しかし、試合になれば熱が入る。そうなれば、省エネの動きと技術力があればいいよねと中高年の私の願望だ。

それも同じ中高年の土俵で競い合うためのレベルを高めたら充分なのだ。

これらの事を時短で狙うなら、直々コーチに教えてもらうのが有効の気がします。

有効の気がしますが、特効薬ではないから過剰期待はNGでしょう。

もし中高年向けのコーチを例えるなら、私はサプリメントだと思う。。

バドミントンの試合観

バドミントンの試合観って何?

上手く説明できないが、私が思うには試合に対する考え方、そして運び方です。

初心者の私は、今まで必死でシャトルを追いかけ、必死で相手が取りにくいところへ返して、何とか一点をもぎ取っていた。

でもある試合をきっかけに、コーチから聞いた理解できそうで実感がなかった話をきかっけに、ハットと思った一瞬に電流が全身に走った。

【きかっけ1】3部の私は1部の人と組んで2部の試合に出て優勝したことを振り返った時

【きっかけ2】今年の関東シニア45歳以上男子ダブルス優勝したコーチの練習会に参加した時

上級者は試合中に対戦相手への対策が柔軟に変更出来る

試合に入ると、早く点を取りたい気持ちでミスが多くなり、連続失点にもなればそのままズルズルとゲームを取られてしまう場面は私のような初心者にはよくあることだ。

同じカテゴリーの中なら、力の差がはっきりしている2ペアの場合は、上手の方は早く点を取りにいって、しかも割合と成功する。この状況に劣勢のペアはどうしたら下剋上に出来るのかを頑張って対処するが、難しいところがある。

しかし同レベル同士ならミスの少ないペアのほうが勝つ。そんなのは当たり前ではないか。確かにどんな競技でもミス少ないほうが勝率高い、バドミントンも同じだ。

しかし、バドミントンの同レベルの試合に決め急ぎによる凡ミスは多発する。

辛辣な発言と思われるが、初心者の決め急がない判断力とメンタルはやはり初心者なりのレベルなのだ。何故なら今打った決めショットは決め急ぎかどうかは初心者自身は判断つかないが多いと思うのだ。

上級者の試合は見て一番分かりやすいところは一発じゃ決まらない、だからラリーになる。ラリーが長いにはお互い確実に相手の陣地に返球すると安易に厳しいコースを狙わないことでリスク回避をしているのだ。

つまり決め急ぎっていないのだ。

相手を揺さぶる段階で決め急がない、チャンスだと見た相手からの一球を決めに行くのだ。

3部の私は1部の人と組んで2部の試合に出て優勝したあとを振り返った時に、ペアが試合ごとのインターバルに適切なアドバイスをしてくれたのが一番感心だった。

初めての対戦相手だけど、大半は3球を交わせば私は格下だと相手が気付き、私を攻撃するのが戦術その一だ。

私が攻撃の的にされるのは承知の上、その中でペアが対戦相手の特長と言うか、弱点と言うかを見出してくれて、私の打球をカバーするだけではなく、私が打ちやすいように配球もしてくれた。

戦い方も相手によって変えるように指示をくれた。前の試合は出来るだけ相手を後ろに追い込んでからの攻撃、次の試合は攻撃を集中するよう、だけど決め球のつもりではダメ、相手からの返球処理を準備するのだ。

なんど魅力あふれる冷静な分析力だと敬服した。

あなたが打った2球目は相手をどう動かせていますか?

私が知っている数の少ないコーチ中に、全国シニア大会に参加出来るコーチがいて、たまに彼の練習会に参加させてもらっています。

彼のコーチングは初心者の私に今までは難しかった。

先日の練習会で、彼は黒板で配球パターンのコースについて説明してくれた時も最初はチンプンカンプンだった。

聞いているうちに、この文章の前半に書いた決め急がない真意にハァと気づいた。

彼はあなたが打った球を誰に取らせるのかは打つ前に決めってたでしょうと言った。

まあ、確かによくあるパターンはコート端の奥に打ったら相手が対処て遅れた時に、次は反対側の奥に打つ、同じ相手が取りに行くのが普通なので、これが効果的だった経験がよくあった。

しかし、彼が言いたかったことを嚙み砕くと、相手をどう動かしたらスペースが空く、その空きスペースが攻撃地点になる。もし、動かしたあとの攻撃が無効になった時は、もう一度原型に戻って作り直せばよいのだ。

本当にハァと思った瞬間だった。

今までは何処に打てば相手が取りにくいと考えて打てた。相手が取りにくいところを打てば得点に繋がりやすいのは確かだったが、この手では上級者には全く通用しないのも試合を通じて痛感したのだ。だから次の策を考えなければならないのだ。

一段上のステージに登れて今までと違う景色が見れた。この違う景色によって試合観が広がった気がする。

バドミントンで人生の折り返しに充実した日々を手に入れた

人生100歳の時代に、100歳を生きるのなら50歳は折り返し時点になる。

楽しくて充実な人生がいい、誰もが思う。わざわざ苦痛の人生を望む人はいないだろう。

人生の折り返し時点が来ると、時たま感傷的に色んな事を考えるようになるかもしれない。

そして多くの人にとって気になる二つのたねは健康面と経済事情である。

50歳を過ぎると健康の重要性を実感し、真剣に日頃から取り組む。それは健康さえあれば、たくさんのお金を持ってなくても、やりたいことにやる気があればやれる可能性がある。逆に健康でなければ、イケイケに行きにくいのだ。

バドミントンは健康のために始めたとよく聞く

私は50歳の手前でバドミントンを始めた。

活動時間は平日の昼間が多いため、バド友は子育てを一段落した女性が多く、中にはおばあちゃんになった人もいる。どっちらかと言うと平均年齢は高い。そこでバドミントンを始めたきっかけを聞いてみると子供のPTAの延長か健康のためかが多いようだ。バド歴数十年のベテランは珍しくないのだ。

だが、健康のためで始めたバドミントンはいつかが生活に欠かせない活動に定着した。皆は元気溌剌して、とにかく若い、お世辞なしで実年齢よりも十歳以上若く見える人は珍しくないのだ。

やはり運動はとても重要だ。物理的だけではなく、心理的にもだ。特に精神面がとうもポジティブになれるのだ。ポジティブ思考が多ければ人は自然に明るくなり、モチベーションが上がる。

バドミントンはとてもお財布に優しい

バドミントンは体育館でやる競技だ。私が参加させてもらうっているチームやサークルなどは小学校の体育館か自治体が運営しているスポーツセンターを利用している。営利目的ではないから施設料は安い、シャトルが一番の消耗品だが、コーチをお招きしない練習会なら一回の参加料金は大体3時間で700円、1時間200円ちょっとで楽しめちゃう。

初期費用の道具で言うとラケットとシューズ、一番高いラケットは多分三万円台、しかしそれは上級者用で、私達おばさんの使用に適さない、大体2万円台以内のものを使う、シューズは高くて2万円以内、初期費用は3万円以下に収めることは非常に簡単だ。

3時間¥700のバドミントンを毎日しても週¥5000に¥100のお釣りが来る。

裕福層が多くしていそうなゴルフに比べて如何に低燃費なスポーツと思いませんか。

少しでも上手になると楽しく感じてもっとやる気が出る

上手になれば楽しく感じるし、もっと上手になりたいから練習するモチベーションがたかくなり、つまりやる気が出る。それはすべての事に当てはまるでしょう。

我々中高年のバドミントン練習会は大半ゲームをメインとしている。皆さんの体力、技術力はバラバラであるが、ゲームを通じて互いによく意見交換をするのだ。

打てないショットはどうしたら打てるのか、どうして打たれて失点になったのか、打ったコースはどうしてよくなっかたのかが等々を話する。

バドミントンのスケジュールはカレンダーの半分を埋める

時間と体力の余裕さえあればバドミントンの練習会に出向くのは何故?

楽しいからですよ。それ以外にありますか?

そもそも勉強や、仕事がストレスと苦痛を感じるからやりたくない、もし自分がやっている勉強や仕事が楽しくて仕方がないなら喜んで取り組むでしよう。

私はとうとう後期高齢者になった。一人の時間がだいぶ持ってるようになった。何にして楽しもうと色々試そう前にバドミントンと出会って、非常に楽しんでいるから日頃の運動はバドミントン一本に絞った。

このように私はバドミントンの魅力に取りつかれているから、自分がメインしている練習会に、仲良くしてくるバド友はまた違う練習会を誘てくれて、行かさせて頂いたこともある。気づけ一月分のカレンダーの半分以上はバトミントン練習会に埋まっている。純粋に練習会だけのお出掛けなら半日がかかる。あとの半日は家事に潰れてしまう。その他の用事はバトミントンのない日にする。暇すぎてつまらないなあと嘆くことがない。

ただ、連日のバドミントンで疲労と筋肉痛が堪える。でもやめようとしない、むしろ快速疲労回復法はないかと探している。

もし良いアドバイスがあれば是非とも教えてください。

感謝します。

祝!2部昇格の目標を達成した

目標は優勝して2部に上がることだ

今年の2月は上記のタイトルで文章を書いた。

昇格判定の一回目試合は4月にあった。

何と3部の自分が2部優勝して2部に昇格したのだ。

パチ!パチ!嬉しい!本当に嬉しい!

自分より強い人と組む時の覚悟

ダブルスはパートナーがいる。

ダブルスはパートナーと力を合わせる戦いのだ。

私は3部にいる。今回、私は1部の先輩と組んで2部に挑んだ。

この場合、私は攻撃の的とされる覚悟が必要、言うまでもなく対戦相手して見れば、私を集中攻撃するのがセオリーなのだ。

集中攻撃されることが避けられないなら必死で防御するほかにあるのか?

集中攻撃されることが避けられないなら先ずは必死で防御する、つまり必死でレシーブするしかないと思った。相手の攻撃を返せたらチャンスが伺えるかもしれない。そうなれば攻撃力のあるパートナーが点を取れるかもしれない。

バドミントンの攻撃はスマッシュだけではない

初心者は強力スマッシュが攻撃球に点を取る武器を想像するかもしれない。それは世界のトップ選手が放つスマッシュスピードは瞬間300kmと言われるから威力絶大に違いない、確かにそうだ。しかしよく見れば、スマッシュで点を取れる前にいろんなショットを使って相手の状況を探るのだ。

おばさんのスマッシュは強くないが、同レベルならだって強く感じる。だが、攻撃法を言うならば、スピードのあるクリアーで相手を左右に走らせてから急にドロップで前に落とすだって時には効果的だ。

スマッシュ一発で仕留める考え方よりも相手を崩せってから点を取りに行くのが低リスク得点法なのだ。

この考え方なら、相手を崩すこそ効力抜群の攻撃法だ。

とにかく返して繋いで

予想通りに私は集中砲火を浴びった。

試合前に覚悟が出来ていたことなので、どんな球が来ても相手に返す準備をした。たまには攻撃性がある球を打つが、決して決め球ではなく、繋いで次に来る球をパートナーに決めてもらう狙いだ。まだは返球が出来たら相手のうっかりミスが生じれば1点を頂ける。

この覚悟で返球の一点張りに集中した。ゲームポイントで同点されても同じく返球に頑張った。そしてファイナルに持って行かれた時もこの作戦に徹した。

体力作りは日頃から気にかけよう

1部、2部の試合はラリーが長くなる。必然に体力が試される。

私はあと数年で還暦を迎えるが、体力を衰えていくに実感している。ファイナルゲームや長めのラリーを対処するには日頃から体力作りを心掛けしている。しかし、一人でジムにで向かうのは苦手だ。ジョギングにも苦手だ。そこで厳しい練習会に参加したり、近所に出かける時は自転車か徒歩かにする。もちろん電動自転車ではない。それとストレッチをする。

2部に優勝が出来たのはほぼほぼパートナーの力だ

3部の私が2部に昇格する方法は自己申告、3部同士で3部優勝する、3部1部同士で2部優勝する三つのパターンがある。

自己申告で上がるはしたくない、3部同士で優勝することが出来たのかで言うと可能性は低いでしょう。何故なら私の所属チームの3部同士を組む場合は恐らく全参加者のレベルで言うと真ん中あたりではないか。しかし上のペア数は多い、実力で行けばトーナメント進出のはやはり上のペアになるのではないかと思う。

試合は戦って見なければ分からない見方は相互の実力が大差ない時に言えると思う。はっきりしたレベルの差があれば試合前に既に勝負は分かるのではないか。だが、敗者には負けた試合を糧に今後の練習に活かすことが出来る。無駄なところは一切ないと私が思っている。

だが、勝つには戦術が絶対に必須だと思う。

勝つの可能性を見出す、確率を上げる、あとは練った戦術を検証するのだ。

試合ごとに対戦相手が違うので、前の試合の戦術は今にどうも効果が薄い、時には追い込まれて失点してしまった。1失点ならメンタルは動揺しないが、連続失点に置かれた状況の中に如何に失点を止めて得点に転じるが重要だ。

私のパートナーは状況を応じてゲームメークをしてくれた。

例えば、序盤は相手ペアが攻撃タイプと気付き、私にクリアーで相手を後ろに下げさせるよりも5割力のスマッシュと長めのドロップを打つようにリクエストした。

目的は明確だ。相手の強打に私のレシーブ力では対処しきれないと判断、ならば球を相手に上げさせてもらって前衛にいるパートナーが上がって来た球を捕まえに行く。もし私が前に行けたらパートナーが後衛に廻り、相手の体勢が崩したらパートナーが攻撃する。

このように対戦相手の特長や戦術を冷静に分析、インターバルの時にアドバイスと修正点をくれた。

バドミントン試合で得られた事を3つに絞った

バドミントン力を引き上げるには練習しかないと思っている。体と時間が許す限りは積極的に練習会に参加している。

私は自由の時間があるほうが、体力と動きは思うようにいかないことが年を取る残酷さなのだ。こんな現実を実感するバド練習の日々に、試合を参加したくないではないが、現段階は参加するたびに心が折れそうな結果を避けたいために、恒例行事のような試合でなければ少し後ろ向きなのだ。

先日は近所で開催された試合のお誘いを気前よく応じた。そして参加した。

試合で得られた事その1#試合の雰囲気に慣れる#

初心者にとって試合は独特の雰囲気がある

1、駐車場がいっぱいなる可能性を考えて車の相乗りで来る参加者が多い、スポーツファッションの3、4人はラケットバッグを背負って車から降りる光景を見ると、何故か皆が強そうに見える。この時点で自分がもうビビっている。ボコボコされる泣きそうな自分を想像してしまう。

2、初めての会場なら、天井や壁の色、ライトの明るさ、床の色と床に描かれた何色のラインに最短時間で慣れないといけないが、場数の少ない人には難しいところ、なのでやはり試合参加しないと臨機応変力が上がらない。言い換えれば臨機応変力を上げるには試合を参加するのだ。

試合で得られた事その2#試合を臨むに体調管理を考えるようになった#

健康のために日頃はなるべくバランスのいい食事をするが、誘惑に負けって偏る飲食もしばしばだ。それに加えて寝起きは食欲がない、朝食を食べない、ブランチにする。

試合の日は早起きして支度しないといけないが、ぎりぎりまで寝たい。いつもの通りに朝食を食べないで試合に臨んだ。

ある初試合のことだった。

午前中は2試合があった。緊張しているから正直に空腹感がない、ただ試合の進行具合でいつよりも遅い昼食を取った。チームメートと談笑すると緊張感が解き放たれた瞬間に、お腹が強烈にすいた。コンビニで買った一つのおにぎりとサンドウィッチに野菜ジュースを完食する所要時間は10分もかからなかった。

昼食後にすぐ試合に入るもあれば待ち時間が長い時もある。いつれにして体がだる重い、午前中のように動けない、その上に眠気が襲いかかてくると分かった。とにかく疲労を感じるのだ。

これって誰かに指摘される手間もいらない、自分がいけないとこをしたには明白だ。

この経験を持って自省し、普段からもう少し体調管理に心掛けるようにになった。

それと試合前日は必ず早く寝る。当日は早起きして時間に余裕をもって朝食を食べる。昼食のおにぎりは小さめにする。あとはバナナ、サラダチキン、ゆで卵、野菜などを組み合わせにする。あとはチョコレートもね。

試合で得られた事その3#メンタルの立て直し#

試合は勝負ことだ。必ず誰か勝つ、誰か負ける。

スポーツ競技は実力の世界で、実力の差がはっきりしているのなら負けたほうは納得してその後は練習に励むだろう。

とは言え、一生懸命に練習して挑んだ試合で無惨な結果となった時に心が折れるかもしれない。負けず嫌いの性格なら尚更なのだ。

人はメンタルが弱くなると負の思考が生まれやすい。いくらそれでは良くないと分かっても体が動かない、モチベーションが爆下がり、俗に言うとやる気が出ないなのだ。

私はそんなはずではなかった試合を多々経験した。実力の差を突き付けられて、毎回はもうダメだと思った。しかし試合の場数を踏んでいくうちにメンタルの立て直しが少し上手になった気がします。

それはダメと思うから今だけがダメかもしれないに気持ちを切り替えることが出来た。

今だけがダメだと言うのは、その先はダメではない、ずっとダメではない可能性が秘められている。だとすれば焦らずやってみればいいかもしれない。実際、負けた試合の帰り道に溜息したら深呼吸をし、いくつかの改善点はすぐさま浮かび上がった。ひとまずやれることをやってみようと自分に言い聞かせてた。試合での失意は幾分か軽くなった。

こうして不思議に一睡したら練習する気になります。

バトミントンをやったら一番地域密着している台湾人になったか?

始まりは数年前から電車通勤をしなくなったから

職場の人間関係に悩まされた結果は転職か一時的に休むことにした例を聞きます。

自分もその一例、数年前に仕事を休むことを選択しました。

そうなれば毎日に定刻の電車に乗る必要性がなくなり、毎日が休日になったから家族にいってらっしゃいとお帰りなさいを言うまでに自分の時間はたっぷりあります。これには嬉しいはずだが、今度は家事以外にやりたい事が見つからないとの悩みが生まれました。それだけではない、仕事を辞めたあと、自ら仕事関係の方々と疎遠になりました。土俵にいる人とそこからから降りた人は当事者と第三者の関係になり、実際、皆さんが仕事で忙しい、わざわざ時間を割いてもらうには悪いに加えて共通の話題と言えば仕事関連だけで、プライベートの交わりは自分が築けてなかったから、同僚を友人になる対象もいませんでした。本当に定年退職したサラリーマンが社会に置き去りされた喪失感に分かる、分かると連呼したくなります。

バドミントンとの出会いで第二人生の扉を開いた

心身疲弊が回復したら新しい仕事を探すに決めた。

しかし私は出不精、出かけなくても良いなら出かけない、お茶をしに行かないとのお誘いなければほぼほぼ自分から人を誘わない、まだ一人でカフェへ行き、美味しいコーヒーに優雅なひと時を享受するもほぼほぼありません。家からスーパーまで徒歩15分ぐらいかかるため車で行きます。くつろぎすぎた日々を過ごしていくうちにちょっと歩いただけで筋肉痛になりました。

これでは体にいいわけがない、頭の中に警鐘がガンガン鳴り響いた。この状況を改善した方がいいと思ったタイミングで一枚のチラシにバドミントン初心者募集の情報が目に飛び込んできました。

やってみたいと思いました。練習場所は車で10分ほどの小学校の体育館、少しの躊躇はあったが、問合せして体験しに行きました。これが私とバドミントンの出会いでした。

体育館は3面のバド用コートがあって、小学生のバド教室はコーチ付きで2面使用、大人は1面使用、メンバーって言うと、定年退職の男性、私と同年代、私より年下の女性の合わせて10名ほどです。ど初心者は私一人だけでした。

私のバドミントンのある人生はここから序章を書き始めました。

バドミントンへの想像と実際のギャップにびっくり!つまり私は勘違いだらけをした

1、シャトルは軽い、ラケットを持った感じも軽い、力で遠く飛ばせると思ったら全く飛びません。

2、テレビで試合を見た時に、コートさほど広くないと、少なくともテニスコートより断然小ぶり、しかしいざ自分がコート内に立つとめっちゃ広く感じました。

3、飛んできたシャトルがはっきり視野に入っているのに空振りや、ラケットのフレームに当たってカッキンカッキン音が響かせた。最初はまともに当てられません。

4、1-3の問題は早期解決できると思いきや数年が経った今も奮闘中。バドミントンを甘く見てました。

5、なぜなぜの事ばかりでバドミントンの楽しさと奥深さに惹きつけられて沼落ち、バトミントンの事ばっかり考えるようになりました。今でもね。

どうしてもバトミントンを上手くなりたいのじゃ

バトミントンが始まって半年過ぎたところで、上手になりたい思いが増し、上手になるためには何をしたら良いのかを漠然としたの考えは、やる時間を増やします。週一時間半に何回かのゲームをするだけは楽しく遊ぶことになるが、バドミントンらしいバドミントンなるには程遠いでしょう。

そこで話しやすいそうな先輩にほかのところを紹介して欲しいと相談しました。

この相談をきかっけに私がバドミントン三昧になりました。

今度は紹介して頂きましたグループの先輩達と仲良くなって、そこからまた新たなお誘いがありました。ゲーム形式の練習会に参加する機会は雪ダルマのようにどんどん転がっていきます。バドミントンの輪がどんどん広がっていきます。気づけば週5回バドミントンをする時期がありました。

地元の試合会場で知り合いがたくさん

バドミントン歴を三年に経ったごろに試合デビューをしました。地元での試合だから多くの知り合いと挨拶交わしたり、一言二言で談笑したりします。

顔広いねとチームメートに言われたあの時は満更でもありませんでした。

皆さんは私が台湾出身、いわば外国人ってことはもちろん知っていて、数十年の日本暮らし歴はコミュニケーションに功を奏しています。

共通趣味の集まりなので、バド談義は永遠に続けられます。なによりも楽しいってことです。初めてから数年を経った今は、私が地元で参加している試合に同じ台湾出身の人と出会っていません。だからと言って、私が地元で一番地域密着している台湾人を言う根拠になりませんが、何か一つに「一番」になったことのない今まで人生にこの可能性を持って、「自称」をさせて頂きます。

目標は優勝して2部に上がることだ

どうして目標設定が重要なのか?

バドミントンを上手になりたいと言っても曇りガラスみたいに、ガラスの向こう側が見えない、全体像がつかめなにくいです。何故なら上手になったとの評価は人それぞれ違うからなのです。もし自己判定するならなおさらです。

そこでバドミントンを上手になるための最優先事項をお題に書きましたhttp://chiyin1903.com/category/%E6%9C%AA%E5%88%86%E9%A1%9E/

目標を決めたら今に置かれている状況を精査する

私が最初にバドミントンのドアーを叩いたクラブチームは地元の小さい連盟に登録しています。4部ある中、今は3部にいます。今年こそ2部に昇進したいと思います。

個人戦は二タイトル、4月と6月に各一試合があります。目標達成するチャンスは2回しかありません。しかも二つの試合時期の間隔は一か月、謙遜ではなく、いま自分の立ち位置は3部の中の下にいると思います。4月にチャレンジ失敗したら5月までの一月間の練習で戦闘力をどこまで積めるのかを考えた時点で弱気になってしまいます。

やる前に不安に襲われるのはメンタルの問題だ

やる前にネガティブ要素を真っ先に考えるのは大きい石を足元に持って来たようなものです。例えば、練習する時間が少ない、練習の質が良くないではないか、自分より強い対戦相手はたくさんいる中で優勝するなんでやはり無理じゃないかどか。このようにやる前に負の要素をいっぱい並べちゃやる気を打ち消すしかありません。

でも自信に持てない人が多いだと思うし、では自信はどのようにすれば持てるようになりますか?私が思うには、小さい成功体験の積み重ねです。

ならば試合までに今の弱弱しいバド力を引き上げるために小さい成功体験をゲットしよう

単純な考え、出来てないところを改善出来たらバド力を引き上げられるのではないか。改善出来たことは立派な成功体験だと思います。

ただ出来てないところはありすぎて、数えたらきりがない中で優先事項を決めます。

①クリアーが飛ばないと言う壁を乗り越える

私が打つクリアーは本当に飛ばない。泣けるほど飛ばない。クリアーの打ち方は分かっているのに、コーチに教わった打ち方を打っているつもりなのに、飛ばないです。

これはとにかくどこか違っているに違いない。解決策はリアルのコーチに見てもらえったらと思います。今月は一回のチャンスがあります。コーチのアドバイスを頂いて実践するのみです。効果は後日に検証します。

②スマッシュレシーブは奥まで返せない時は逆にネット前に落とす、落としったら一歩少し前に行くか、完全に前衛になるかを練習する。

相手のスマッシュをネット前の落としたら、帰って来る返球はヘアーピンとは限りません。奥までのロブーに自分が処理するに備えるのなら一歩を少し前に構える必要があります。

もし自分が完全に前衛に入るのなら、パートナーは後衛に回るが、これはパートナーとの話し合いで決めます。

③ローテーションをしっかりと

ローテーションは分かってますが、時々忘れたりします。これからはポジション取りをはっきりして、迷わずローテーションします。

④パートナーと話し合い

私が3部から2部に上がる目標とするクラブチームは弱小チーム、試合参加するたびに皆でペアリングしますが、部員数が少ないため選択肢も少ないです。誰と組むにしたってお互いのコミュニケーションは非常に重要な事です。それに言うまでもなく、ダブルスは二人が同じてコートに立って、協力し合いながら勝利を目指すカテゴリーであり、一人の力で何とかしようとの考え方は適切ではありません。

自分のコミュニケーション力は決して強くない、しかし積極にパートナーとコミュニケーションを取らなければ勝機を見込めない事がはっきりしています。優勝したいならば、パートナーと話し合いに努力ほかないでしょう。自分の思いをパートナーに伝わるように伝えて、そして多い協力して頂けるようにお願いします。

①ー④の項目は、④が最重要課題と思えて来ました。