バドミントンを上手になりたいな、なれたらいいねとずっと思っています。
そのために練習しています。
週3回から週5回ほど所属クラブチーム、バトミントン教室、フリー参加の出来る練習会へ行き、練習を励みます。
時に上手なったねと先輩が優しく褒めてくれますが、褒められることは満更でもない一方、自分の中ではもやっと。
もやっとの根本は、自分自身と比べているるか、他者と比べているかによるものです。
もし自分自身と比べているのなら、確かに先輩の言う通りに上手になりました。
ラケットの握り方すら分からない正真正銘の初心者から始め、今は基本ショットが初級者並みになった。ここまでには八年をかかりました。
しかし、私は自分自身と比べているよりも他者と比べています。
そうなれば自分と同じ初心者から始めたバド友は今はどのレベルにいらっしゃるのかが重点になります。
多くのバド友は一段上、二段上の土俵で精進しづつ楽しんでいるように見えます。
楽しむ前提で一緒に練習する機会は多々あります。その時に同じのコートに立ってば私は大半負けます。相手との差ははっきりつけられました。このような現状を受け入れた上で先輩に上手になったと褒められても素直に喜べない自分がいます。
ラケットを初めて手にしたことをスタートの単一基準にするのは安直すぎます。
年齢が同じでもフィジカル、練習時間の多さと質、メンタルにそれぞれの差があります。
それにバトミントンをする目的も人によって違います。目的が違ってれば恐らく熱の入れ具合も違ってきます。
例えば健康のために運動したいとか、趣味を作りたいとか、バトミントンを通じて横の繋がりを広めたいとか、大会に出場して優勝したいとかを考えられます。
多くの要素が絡み合う中、自分が上手になったかどうかの自己診断が出来ません。
でもはどうしても上手になりたい、自分が納得した形でね。
私が目指している”上手になった”はどんなものなのか、どうしたら具体化に出来るのかを改めて考えて見ました。
例えば、スマッシュのスピードが速くなった?クリアが飛ばせるようになった?ローテーションがスムーズに出来た?追い込まれた時にも態勢が整えるように対処出来た?
一つ一つの項目を挙げるならかなりの数があると思います。
一つ一つが重要です。その一つが出来たからバトミントンが上手になったとは言えない気がします。
でも限定的に上手になったと言えます。例えば、スマッシュが上手になったとか。
ここで、私が一つの事を思いつきました。
それは一つ一つの項目を挙げて、これから出来た項目を足し算のように重ねていくよりは、自分に対して”目標”を設定し、その目標が達成したら現段階に上手になったねのほうが自己判定しやすいではないかと思いました。
短期目標を設定したら、目標に到達するまでに何か必要なのかを考えて、もし十項目があれば、一つずつを減らしていきます。
そうです。足し算方式ではなく、目標ありきの減算方式です。しかも目に見えていてはっきりしている目標設定がいいでしょう。
ならばとてもシンプルです。
私は地元の小さい連盟に登録しています。
年一回の1部~4部のダブルス個人戦があります。
今、自分は3部にいます。
2部に上がるは3部で優勝するか、自己申告で上がるかになります。
上がるなら是非優勝して上がりたいです。
さて、目標設定はもうはっきりしています。
3部優勝して2部に昇進します。
ダブルス試合になります。パートナーがいます。パートナーと力を合わせなければなりません。
やる気が出ってきました。