ストレス発散、意地悪がしたいならあそこで思う存分にできる

日々の生活にストレスが生じて貯まる。どんな些細なことでもその人にとってはストレスになる可能性があるのだ。私事で言うと、使った物を定位置に戻さない家族を見たら、戻しなさいと口出をしたくなる。言葉走り瞬間、相手の心理状態によりもうストレスを与えたかもしれない。自分自身どうなのかと言うと、言っても言わなくてもストレスだ。

ええ~どうして?

言って、相手に嫌な顔されたり、あるいは強めな言葉を返されたり、言わない場合は気になることをグッと飲み込んで自己消化をしないといけない、ストレス種に相当するなのだ。

人の心は変わりやすい天気のようだ。例えば晴れのち曇り、午後から大気の状態が不安定、強風に伴う一時激しい雨に注意!

人間はとにかくその場の空気と心理状況で物事を穏やかな対応が出来るか、あるいは一触即発の危機になるか。一日に心の微妙な変化を拡大すれば想像以上に波瀾万丈だったかもしれない。

ストレスを貯めては体に悪い、貯めてる悪いから排出しないといけない、排出しないとストレスタンクがいずれ満タンに爆発する。人がどうなるの?私は負状況を想像してしまうのだ。

私はバドミントンを楽しんでいる以上に自分のストレス排出法として重宝している。

私達は試合形式のゲーム練習に点数を数える。勝負するを前提に、相手から点数を取り、相手に点数を取られないように企てる。この観点で行くと相手が取れない球を打つ、自分は相手からの球をミスしないで返す。

相手が取れない球をわざわざ打つって意地悪に相当するだけだと思いませんか?

でもバドミントンのコート内ではこの意地悪が容認される、むしろ観戦者から拍手喝采を頂くのだ。やる人は意地悪さを前面出し、見る人はこれに称賛する。極端に言うと、意地悪を推奨する、優しさをダメ出しにする、人間が持っている悪魔的な一面をコート内で遠慮せず発揮したらむしろヒーローだ。

そうですね、コート内でのヒーローは意地悪者だ。意地悪をしたい時はコート内でする。その欲をパンクする前にコート内で減圧することが出来るのだ。

これらはコート内で許される話で、コートから一歩でればNGだ。

バドミントンのトップ選手が放つスマッシュのスピードは新幹線なみだ。私はその十分の一以下だと思う。それでもラケット思い切り振ってシャトルを完全にパッシと叩けた時のスピード音「シュー」がスカッとする、快感を覚えるのだ。ストレスの解消法の一つになるのは何かの物を叩くだね。例えば、太鼓、ゲームセンターにあるモグラ叩き。

ここでふと思った。人間は暴力回避のためにいろんなスポーツ競技を作ったりのかな?例えば、合法的に人を殴る蹴るならボクシング、K1、人を刺したいならフェーシング、人を胸掴みで倒したいなら柔道、一つの物を奪い合いたいならサッカー、バスケットボール、ラグビーだね。

だが、悲しいことに慈悲の欠片もない殺し合い戦争がリアルに起きているのだ。

Nさんがもういないバドミントンサークルへ

今年1月中旬頃のバドミントン練習日に、チームメイトだったNさんの訃報を聞かされた。突然すぎて驚きしかない、その場で体が固まった。特大号のショックだった。

一昨年の12月末に行われた団体戦を最後に、彼女はチームを離れ、すべての練習会も辞めた。バドミントンの起点であったサークルだけ残して、週一回、純粋にバドミントンを楽しむようにしていた。

私がバドミントンのドアーを叩いたのもこのサークルだった。初心者歓迎、どこのバドミントン連盟にも登録してなくて、運営コンセプトは和気あいあい、健康のために楽しいバドミントンであるのだ。

私はここで彼女を始め、気持ちの暖かい仲間達に出会った。

彼女はとても明るくて、いつも笑っている印象しかなかった。彼女がいるだけで周りの雰囲気が賑やかになり、エネルギーがどんどんつくられるような感じだ。

私が練習の場を求めっているうちに、サークルへ足運ぶ間隔が広くなり、気づけば幽霊部員になったが、共通の仲間から彼女は相変わらず元気でバトミントンを楽しんでいる便りが定期的に届きていた。

彼女はサークルに行っている、行けば彼女がいるという安心感があった。そのうち皆を会いに行くわ、それに春先、卒業式、入学式に体育館が利用できない時、彼女はいつも「大人の遠足」を企画してくれる、久々に会ってないバド友もその時で良いと思っていた。

それが何時でも会えるから、何時でも会いに行かない、そしてもう一生に会えなくなった日が突然に訪れた。

こんなことは珍しく何ともない、この年になればとくに分かっていた。しかしいざと現実につけられると心が痛くて堪らなかった。

皆で彼女を送ったまもない頃に、東京の桜のつぼみが膨らむ頃、Hさんが「大人の遠足」を彼女から引き継いで行った。

当日、彼女が逝ったではなく、今年は彼女がたまたま不参加だけのように皆の談笑が止まらなかった。帰りに彼女の分を含め、参加できなかった人達へのお土産を買って帰った。

春が過ぎて夏が来たこの頃、今週は体力が余っているからふらっとサークルへ行った。運よく自分が入った頃のメンバー数人が来た。多分もう八十歳になったおじいちゃんの技あり、少し意地悪ショットはなお健在、OLでなかなか来られないエレガントのOさん、怒らないとにかく優しいHさん、皆さんは元気でいつもと変わらなかったことが嬉しかった。

帰り際、皆が互いに「またね」と言って別れた。名残惜しいそうに感じたのは私だけかもしれないが、今日来てよかった。それであの時行けばよかったという後悔を一つ減らした。今日を生きようってこういう事だ。

皆がやっているから自分がやらないと不安になることはありませんか?

ここで言っている皆とは、自分と同じ所属しているコミュニティ、集団のことです。

自分の経験だと学生時代に本当は放課後に遊びたい、しかし周りの9割の人が塾に通っていて、自分も行きました。この状況は仕方がないだと思いました。

そもそも勉強は苦手、学校での授業は出来ないことが多すぎてテストに良い点数が取れない、それに優等生も行っている、こんな私では行かない勇気はありませんでした。

成績のことだけではない、もう一つプレッシャーは行かないと塾話題に入れない、仲間はずれの淋しさがあります。塾に行く道中でお友達とかき氷を食べたり、小腹がすいたら屋台料理をちょっと食べてだべるのも結構楽しかったです。

所属するグラブチームの仲間に聞くとだいたい週2,3回を練習のがほどんど、自分も同じぐらい。フリーの練習会に参加すると、参加者の中で自分のレベルでどのぐらいの位置にいるのが分かります。あの人のように上手くなりたいなあと思うと真っ先にもっと練習回数を増やすほかないと思ってしまいます。そうなると妄想モードがスイッチオン、上手な人はきっともっといっぱい練習していると決めつけ、対等に歩き渡るには今のままじゃ駄目だと、時間はあるからとにかく頑張って練習しようと。

数年が経つと、練習量は上手になる要だと考え方は変わらないが、それ以上に重要なのは練習の質ではないか、この質より量の考え方の変化で同調圧力が減りました。

切磋琢磨でバド沼に嵌まる仲間と共に上手になるが、切磋琢磨は単純に競争相手的な考えではなく、競争意識よりもお互いは協力的なスタンスで一緒に取り組むほうがモチベーションが上がります。練習の質も良くなると思います。

競争から協力への発想転換で心が軽くなり、今週はこのぐらいしか練習していないから生じる不安も消えつつ、とは言え、自分の中では週3の練習を確保したいところです。

沖縄でコーチに逢えって本当に嬉しかった

私はバドミントン教室で出会った沖縄出身のNコーチが最初のコーチだった。彼のコーチングは何故こうするのか、自分がこうして習ったからこうなるではなく、はっきりした理由を生徒達に伝える。私はこの教え方に信頼し、自分には合っている。教室以外に、彼が主催する練習会を積極的に参加した。私達の合宿要望にも応えてくれた。

二年前のある日、彼が地元で自ら立ち上げたチームに戻ると生徒達に伝えた。目標はバドミントンS/Jリーグに参戦だ。チーム名はブルファイツ、しかも沖縄県初バドミントンクラブチームだと初めて知った。https://ryukyu-bullfights.com/

私には夢を持って果敢にチャレンジャーするコーチのことを輝かしく見えた。

気さくな人柄、休憩時間によくひと言、二言に雑談をした。その一つは、那覇空港から車10分ほど長瀬島と言う新しい複合観光施設があって、チームがその中にある「ヨナーズガーデン」レストランとコラボ企画をやっていると教えてくれた。

同年の9月に、私が2泊3日で与論島の友人宅を訪ね行くことなった。帰りは那覇空港で2時間半待ちの羽田便を乗り換えなければならない。せっかくだから、コーチが言ったレストランを夫と行った。

是非ともコーチが絶賛したガーリックライスとステーキを堪能したい、注文に来た若い男性スタッフに、唐突を知りながら、もしかしてブルファイツの選手ですかと聞いた。

違うとわたっかあと、私はNコーチがついに最近まで東京で教えた生徒の一人と自己紹介した。

観光気分満々の私と夫は料理来る前にテラスに出て景色を見たり、ビールを豪快に飲み。しばらくして席に戻って料理が来た。

「Nコーチはちょうと近所にいる、こっちに寄るよ。」

「本当ですか?嬉しい。コーチに電話してくれてありがとうございます。」私は満面の笑みでイケメンスタッフにお礼。

数か月ぶりに会ったコーチはとても元気で、少し焼けた印象はあっただけだ。

事前に約束がなく、会えない前提に来てまさか逢えたらなんで、自分にとっては最高のサプライズであり、旅の思い出になるプレゼントだ。コーチの心遣いに感謝だ。

あれからあっという間に二年が過ぎだ。SNSを通じてブルファイツを陰ながら応援している。あの日にレストランで食べた美味しかったガーリックライスとステーキもまた食べに行けたらな。

何しに与論島へ?まさかのバドミントン

二年前の九月、数年ぶりに与論島の友人宅で行う大型バーベキューに参加した。九月の与論島、昼間は灼熱の島、夜は時折の海風が涼しさを運んでくれる。星空の下、広々とした芝生で賑やかな宴が真夜中までに繰り広げられるのだ。

与論島の海はとても美しい、私もこの美しさに魅せられた人だが、マリンスポーツに全く興味がない、ここに来たら思う存分に美しい海を眺め、日が沈んでから癒される波の音を聴きながら砂浜を散策、あとはメインイベントを楽しむのが今までの与論島旅スタイルだ。

しかしこの年はこれではちょっともったいないと思った。バドミントンは出来ないかなと思った。

もう行くと決めたから、聞いてみるべきだ。そこで思い立ったら行動だ。早速友人を通じて、現地の方にリサーチするようをお願いした。

なんとなんと、高校生のバド部がちょうと私達が滞在する二日目の日曜午後に練習がある、飛び入り参加を受け入れてくれそうな連絡が出発前にメッセージをもらった。

最初は飛び跳ねるように嬉しかった。あとから冷静になって、ちょっと待ってよ、高校生に接待してもらわなければ無理でしょう。でも現地の方がせっかく聞いてくれたし、私が皆の練習に邪魔だけと分かっていても、いまさら陣地脱走のようなお断り方も良くない、やはり行ってから臨機応変に対処するほうがいいではないか。

当日のお昼過ぎ、友人が体育館まで連れてってもらった。

立派な体育館だ。

自己紹介のあと、早速基礎打ちに。初対面のおばあさんに可愛い女子高校生が少し戸惑ったようだ。私は雑談力があったら場を和ませたのになあ。でもここはシャトルを借りて会話するのだ。

相手の返しやすいところを打ってあげてね。

バドミントン教室のコーチが言ったことを思い出した。

どう?このスピード?

ありがとう、大丈夫よ。

シャトルからの伝言が聞こえてきそうだ。

シャトルが高く飛びすぎたり、取れるコースを大きく外れたりすると「すみません」と声出して相手に言う、次第にコミュニケーションが取れるようになった。

男子は普通に強い打ち方をしていて、休みの時に私の目の保養になっていた。最後は顧問に頼んで、顧問と組んで男子一年生とゲームした。

二時間で爆汗をかいた。熱中症の気配もなく楽しかった。

与論島は四十分の飛行機で沖縄に行けるが、行政区分は鹿児島県なので、大きい大会は群島試合から、奄美大島でやるとこの時に知った。

この日の夜、美味しいお酒を片手に、今回の二泊三日与論島旅に参加した知り合い達にバドミントンをやらないかと誘った。