Nさんがもういないバドミントンサークルへ

今年1月中旬頃のバドミントン練習日に、チームメイトだったNさんの訃報を聞かされた。突然すぎて驚きしかない、その場で体が固まった。特大号のショックだった。

一昨年の12月末に行われた団体戦を最後に、彼女はチームを離れ、すべての練習会も辞めた。バドミントンの起点であったサークルだけ残して、週一回、純粋にバドミントンを楽しむようにしていた。

私がバドミントンのドアーを叩いたのもこのサークルだった。初心者歓迎、どこのバドミントン連盟にも登録してなくて、運営コンセプトは和気あいあい、健康のために楽しいバドミントンであるのだ。

私はここで彼女を始め、気持ちの暖かい仲間達に出会った。

彼女はとても明るくて、いつも笑っている印象しかなかった。彼女がいるだけで周りの雰囲気が賑やかになり、エネルギーがどんどんつくられるような感じだ。

私が練習の場を求めっているうちに、サークルへ足運ぶ間隔が広くなり、気づけば幽霊部員になったが、共通の仲間から彼女は相変わらず元気でバトミントンを楽しんでいる便りが定期的に届きていた。

彼女はサークルに行っている、行けば彼女がいるという安心感があった。そのうち皆を会いに行くわ、それに春先、卒業式、入学式に体育館が利用できない時、彼女はいつも「大人の遠足」を企画してくれる、久々に会ってないバド友もその時で良いと思っていた。

それが何時でも会えるから、何時でも会いに行かない、そしてもう一生に会えなくなった日が突然に訪れた。

こんなことは珍しく何ともない、この年になればとくに分かっていた。しかしいざと現実につけられると心が痛くて堪らなかった。

皆で彼女を送ったまもない頃に、東京の桜のつぼみが膨らむ頃、Hさんが「大人の遠足」を彼女から引き継いで行った。

当日、彼女が逝ったではなく、今年は彼女がたまたま不参加だけのように皆の談笑が止まらなかった。帰りに彼女の分を含め、参加できなかった人達へのお土産を買って帰った。

春が過ぎて夏が来たこの頃、今週は体力が余っているからふらっとサークルへ行った。運よく自分が入った頃のメンバー数人が来た。多分もう八十歳になったおじいちゃんの技あり、少し意地悪ショットはなお健在、OLでなかなか来られないエレガントのOさん、怒らないとにかく優しいHさん、皆さんは元気でいつもと変わらなかったことが嬉しかった。

帰り際、皆が互いに「またね」と言って別れた。名残惜しいそうに感じたのは私だけかもしれないが、今日来てよかった。それであの時行けばよかったという後悔を一つ減らした。今日を生きようってこういう事だ。

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