何しに与論島へ?まさかのバドミントン

二年前の九月、数年ぶりに与論島の友人宅で行う大型バーベキューに参加した。九月の与論島、昼間は灼熱の島、夜は時折の海風が涼しさを運んでくれる。星空の下、広々とした芝生で賑やかな宴が真夜中までに繰り広げられるのだ。

与論島の海はとても美しい、私もこの美しさに魅せられた人だが、マリンスポーツに全く興味がない、ここに来たら思う存分に美しい海を眺め、日が沈んでから癒される波の音を聴きながら砂浜を散策、あとはメインイベントを楽しむのが今までの与論島旅スタイルだ。

しかしこの年はこれではちょっともったいないと思った。バドミントンは出来ないかなと思った。

もう行くと決めたから、聞いてみるべきだ。そこで思い立ったら行動だ。早速友人を通じて、現地の方にリサーチするようをお願いした。

なんとなんと、高校生のバド部がちょうと私達が滞在する二日目の日曜午後に練習がある、飛び入り参加を受け入れてくれそうな連絡が出発前にメッセージをもらった。

最初は飛び跳ねるように嬉しかった。あとから冷静になって、ちょっと待ってよ、高校生に接待してもらわなければ無理でしょう。でも現地の方がせっかく聞いてくれたし、私が皆の練習に邪魔だけと分かっていても、いまさら陣地脱走のようなお断り方も良くない、やはり行ってから臨機応変に対処するほうがいいではないか。

当日のお昼過ぎ、友人が体育館まで連れてってもらった。

立派な体育館だ。

自己紹介のあと、早速基礎打ちに。初対面のおばあさんに可愛い女子高校生が少し戸惑ったようだ。私は雑談力があったら場を和ませたのになあ。でもここはシャトルを借りて会話するのだ。

相手の返しやすいところを打ってあげてね。

バドミントン教室のコーチが言ったことを思い出した。

どう?このスピード?

ありがとう、大丈夫よ。

シャトルからの伝言が聞こえてきそうだ。

シャトルが高く飛びすぎたり、取れるコースを大きく外れたりすると「すみません」と声出して相手に言う、次第にコミュニケーションが取れるようになった。

男子は普通に強い打ち方をしていて、休みの時に私の目の保養になっていた。最後は顧問に頼んで、顧問と組んで男子一年生とゲームした。

二時間で爆汗をかいた。熱中症の気配もなく楽しかった。

与論島は四十分の飛行機で沖縄に行けるが、行政区分は鹿児島県なので、大きい大会は群島試合から、奄美大島でやるとこの時に知った。

この日の夜、美味しいお酒を片手に、今回の二泊三日与論島旅に参加した知り合い達にバドミントンをやらないかと誘った。

サーブのよし悪しを言う前に、先ずは100%相手のコートに入れる

バドミントンの試合はサーブ側がサーブしてから始まる。ダブルスはサーブする人がシャトルをネットを越えさせて斜めの対面ハコに、イラストの通りだ。

もしサーブする人はシャトルを赤ライン内に入れたら、あとは受け側がどう処理するかになる。例えば、返球できなかった。あるいは来たシャトルが赤ライン内に入っていないじゃないかと判断、あえて返球しなかった。これは受け側の判断ミスなので、サーブ側に1点が入る。

逆に、サーブ側がミスしたら受け側に1点が入る、サーブ権が対戦相手に渡す。

サーブはプレッシャー

バドミントンのダブルスに、もしサーブ専門ルールがあれば、つまりサーブに関してはパートナーに任せて、自分はサーブしなくてもよいならしないかもしれない。凄いプレッシャーだからだ。

サーブがネットの上に高くなったら間違いなくパッシと叩かれて相手に1点献上、しかし、サーブがネットの上にギリギリ通過して受け側の陣地に落下したら相手が取れなかったり、あるいは甘い球が帰って来てこちの絶好の攻撃チャンスになる。

ショートサブ、ロングサブ、コース、サーブスピードなどの組み合わせがある中、サーブは仕掛けの武器だ。我ら底辺で競い合う中高年おばさんの試合なら、サーブで3、4連続得点はよくあることだ。

どんなことって言うと、自分のサーブミスで相手に1点をあげる、相手からのサーブが3回とれなかった。極端に言うと、相手が一歩も動くことなく4点をゲットした。試合全体で言うと、3球目が生まれなかった。バドミントンはシャトルを打ち合い競技だから、これはバドミントンをしていますかと突っ込まれても返す言葉がなく、笑ってごまかすしかないでしょう。

サーブによる連続得失点は目立つだけで、自分の試合は統計してないからはっきりした数字は言えないが、パートナーと合わせて平均3、4点あるじゃないかなあと思う。21点の中に、相手が何もしないでこちらから点数を差し上げていた。自ら勝ち率を落としているのだ。

弁解するではないが、試合終盤に僅差になると、シャトルを持つ指が震える経験はあった。それで1点負けの試合になったことはトップ選手も同じだ。

しかし、厳しい場面で甘いサーブするとギリギリラインを狙うサーブはどちらにしますか?

勝負師なら後者かもしれないが、我々は前者を選ぶ、最大の理由は相手が頂き球をミスしてくれる可能性があるのだ。

だからとりあえずシャトルを相手のコートに入れるのだ。

悔しさがあるからまた頑張れる

十分の一の力も出せなかった負け試合が悔しい、十分の一の力も出せてなかったから当然惨敗だった。

この日は仲間の運転で私が助手席に、二人だった。

出発時に今日は頑張ろう、帰りはまた頑張ろう。負け内容が悪かった分に反省材料が尽きない、車内で会話が盛り上がる。

「バドミントンは本当に難しい、練習で手応えを感じると嬉し、でも試合に出ると全く通用しなくて、ああ、練習が足りない、もっと練習しないとねの繰り返しよね!でも練習時間を増やせても体がついていけてないが現実だし。どうしたらいいかしらね。」

A子さんの声は明るかった。嘆きの中にも前向き感がある。

「本当にそう思う、まあ、無理のない範囲内でやり続けるしかないかもね。実際1年前と比べれば上手になったからね。問題は年齢による体力の低下だ。私達はラケットを置いて超つまらない、苦しいフットワークと筋トレを練習メニューに加える方がいいかもね。」

「子供がやっているようなものですか?」

「やれたらやってもいいじゃない。まあ、でもやっぱりやりたくない。やったら一週間寝たきり状態になるね。」

私はA子さんの質問を真剣に答えたが、彼女は笑いを噴出した。

「そうなら、家事、バイトはお休みになるけど、家事代行サービス代はへそくりから捻出しないといけない、バド代もひびく、家族に顰蹙を買うわ。家内平和の危機を招くリスクあるね。やめよやめよ。」

二人はげらげら笑いだして、私はA子さんの発想に負け試合の悔しさが幾分に和らげた。悔しさがあるから頑張りたい気力が湧くと思う、ならば、悔しさはモチベーション上げサプリと言える。今日はモチベーション上げサプリを飲んだ。苦いけど仲間がいて良かったことを改めてしみじみ感じる。

しとしと雨の中、渋滞なく車がスムーズに走る。エアコンをつけないとフロントガラスが曇る、半袖のウエアー1枚では少し肌寒いが気持ちいい。たわいない車内会話は30分続きで彼女が車を家の前に止めてくれた。お互いが明るい声で「またね!」を言い、私は車から降りて彼女を見送った。

コート外で鑑賞する高速スマッシュは拍手喝采を送る、受けるとビビりまくる

男性陣がいるクラブチームに入っている。彼らの対戦に惚れ惚れする。際どいコースを狙う、レシーブする。強烈なスマッシュを平然と打ち返す、おばさん組の目には「かっこいい!」しか映らない、それとあのように打ってたら楽しいだろうねと羨ましそうに呟く。

混合ダブルスの試合に参加することもあるから、よく誰かと組んでゲーム形式で練習する。まあ、正直に私と組む場合、パートナーと相手にとっては遊ぶ、練習にならない。でも私には練習になる。付き合わせてもらうに申し訳ないと感謝だ。

若かったごろには言ってみる、お願いしてみるが苦手で、中高年にった今はわりと言えるようになった。まあまあ他人本願に甘える。この男性陣の力を借りて少しでも技術力の向上に繋がりたいだ。

だから対戦相手の男性にスマッシュを交えて若干厳しい球をくださいをお願いする。

ここでは「若干」をリクエストする。目的は徐々に慣れることだ。

快諾してくれた。

いざ始まると、パートナーが相手に高く上げた球は、私のお願いしたスマッシュが来ると予想する。自然とラケットを強く握る、これは絶対にダメと分かっていてもそうなる。ビビりまくっているからだ。私にとっての高速球は目から逸らしたくなる、それだけではない、一回目は体を回転して背中を相手に向けた。きゃ~は口から出なかったが、明らかに逃げた。

場外は笑いが起きた。

チちゃん頑張れ!爽やかな応援声が聞こえた。

私は明るく、悪い、悪い、次は絶対に取るからと相手に言った。本気度を示すと気遣ってほしくなかった。

ラケットの面が強いスマッシュに軽く当てるだけで球がポンと返せる、問題は当てるタイミング。

この日のゲーム形式では一度も出来なかった。基礎打ちの時は出来たのになあ、平常心を保てないから歯がゆいもあるが、素早く動いてレシーブの準備に入ってないが根源だ。この課題は改善したいと抱いたままに自転車のペタルを踏み、迎え風を切って帰宅した。

対戦相手の立ち位置とラケットの構え方が見えない、老眼だから?

50歳手前にバドミントンを始め、最初にあれ~と感じたことは足が素早く一歩前に、後ろに動けない、それに歩幅が小さい。もともと走るが苦手で、健康のために運動しようなら、ジョギングの選択肢は私にないとはっきりに言える。バドミントンを選んだ動機も健康のためではなく、純粋にやってみたかっただけだ。

始めて数年が経ったごろ、チーム内で試合練をしていると先輩がよく人のいないところを狙ってくださいと言った。もうすぐバド歴10年になる今は、言われる回数は減ったがまた言われている。ここはポジティブに進歩したにしよう。

人のいないところに打つのは分かっている。問題は人のいないところってたまにしか見えない。

そのたまにってという時?

例えば対戦相手の二人が右側に凄く寄っている時だと左側がはっきりガラ空きに見えるのだ。

そんなのは当たり前でしょうと突っ込みたいあなたに弁解させてください。

コートに立ってれば無我夢中になる、私の場合は最初の2,3年にこの状況をすら把握出来ていなかった。だからたまになるのだ。

加えて対戦相手のラケットの構え方を見ることだと、これは完全に見えないのだ。

すべては老眼が進んでいる、動体視力が弱いにしたいが、真実ではないのだ。

確かに視力の低下は飛んできたシャトルの軌道を速く捉えない、だけとそれは対戦相手の立ち位置とラケットの構え方に見えないとは別問題だ。私より年下の上手な先輩達に聞くと、はっきりくっきりは見えてないよ、だいたい見えてるぐらいだよと回答した。

そうか、だいたいでいんだ。だけど、私はだいたいという程度にすらいかない、どうすればだいたい見えるようになるの?この極めて重要なことに。

先日、この壁というほどの悩みをコーチに聞いてみたところ、高く飛んで来るシャトルを見すぎているかもしれない、要するに目線がずっとシャトルを追っかけっている。相手が打った高くて遠い球なら、飛ぶ方向がだいたい分かっていて来るまでは時間がかかる、それで相手が一瞬に見えるとコーチが教えてくれた。

私はテレビで見た山口茜選手を思い出した。彼女は確かに高く飛んで来るシャトルを見て、相手を見て、またシャトルを見て打つ、凄く余裕があるに見えるのだ。

あの~世界のトップ選手の真似は無理でしょう。

無理ですね。鑑賞のみですね。そもそも真似したいとも言ってない。

しかし、よく考えてみたら、私がいるステージでの競争なので、自分はどのあたりにいるかは分からないが、楽観的に真ん中あたりにいると仮定すれば、同じ悩みを持つ、同じ壁にぶつかっている人のが大多数だ。上手な先輩達は「だいたい」を言っているし、自分も「だいたい」を目指せば十分じゃない?

そうだ。コーチに練習法を聞くのだ。

バドミントンのとんでもない二面性に気づき、対処できる気がしない

相手が取れるように優しく打ってあげてください。練習だからね、シャトルが何回もお互いの所に行って帰って来るようにラリーしてください。

バドミントン教室の男性Aコーチの言ったことを深く記憶している。

重さ5gのシャトルをなるべくラケットの中央に当てて、真っ直ぐに飛ばすにはラケットコントロールが重要だ。もしお互いが打ったシャトルがあちこち乱飛行、相手が返せないまま落地すると、シャトルを拾ってやり直すことになる。このような場面が頻発すると、もはやバドミントンとは言い難く、シャトルを拾う会になる。

これじゃ楽しくならない。どちらかがもうやめようと切り出すことが目に浮かぶ。

しかし簡単そうに見える打ち合いは、初心者同士がやると本当にラリーが続かなくて、すみません、すみませんの連発になる。この状況は相手が打ちやすいところへ返す練習をするにつれて徐々に改善されていくのだ。

ところで、試合形式の練習会へ行くと、試合だから、点数を稼ぐには相手の取れないところへ打つように切り替えなければいけない。

そう、Aコーチの「練習だからね」と言った言葉がコーチング解読の重要ポイント、言い換えれば練習ではなく試合であったらどうなるのか?

打ち方、考え方は正反対になる。思いやりはいらない、いるのは意地悪、恋人同士が大好きと言った後に大嫌いと言うのと同じことだと私は思う。その変貌ぶりは何?と聞きたくもなる。

私はバドミントンの持つ正反対の二面性に魅力を感じているかもしれない。俳優ならプライベート以外の色んな役を演じる機会がある、私にはない。日常生活に多かれ少なかれストレスがたまる。バドミントンの試合には合法的に意地悪さを発揮できる。あるだけの意地悪さを存分にさらけ出すほうが拍手をもらえる。うんん~、なんか人間性が試されているような気がする。

ただ、練習時は相手がシャトルを取れるように打たないと練習が成立しないため、自然に相手のいる所へ打ち返すことを身体が覚える。身体が反射的にこのように反応する。試合と練習では正反対のことをやるだなんてある意味では器用すぎる。

今の私は対処できる気がしない、そうですね、だからまだまだ下手で伸びしろがあると考えるしかないのだ。

負けた試合に落ち込むだけではもったいない

バドミントン試合の前日に口にした悪いシナリオが現実となった。

それは自分の中で凄く凄く重要視をしていた大会でトーナメント戦の一回戦敗退を喫したことだ。言霊は恐るべし。

同じペアと組んで先月の大会で優勝した波に乗りだかった。一方、一筋縄にはいかないと心の準備もあったが、1点差負けで一回戦敗退の瞬間は平然な顔で結果を受け止め、ペアに自分のミスで足を引っ張だとお詫びするのが精一杯だった。

ペアはジュニアのコーチをされていて、チーム内の練習も皆に教える存在だ。この2大会を通じて私は彼女からたくさんの事を学べた。本当にありがたかった。

こんなはずじゃなかった結果はメンタルに来る、場合によって暗闇のトンネルに入ったとうになかなか出られない、この状況に陥るには金字塔の上にいる人と最下層にいる人共にある。その深刻さの度合いは上にいるから軽い、あるいは重いではない、どう受けとめる、受けとめったあとはどう出るのがカギだ。

負けた試合に出来なかったことを気つけたら先ずはひと収穫だ。この出来なかったことを出来るようにすれば、「出来た」の喜びと自信になる。自己肯定感だって高まるだろう。

だから負けた試合を目からそらして挫けた心を時間で癒すではなく、時間で癒すにはタイパが悪すぎてもったいないのだ。萎えていても問題点を見つけ出し、時間をかけて次試合の楽しみを自ら作って増やすのだ。それが成長に繋がるだな。

ところで、私のバド技量は言われなても不足点満載と自覚している。それはそれで分かりやすい、一分間で改善点をスラスラ十個を書き出す自信がある。

ならば、こういう考えが出来る。次回の試合に一つの改善点をクリアしたら一つの楽しみを手に入れるとカウントすれば、実に数多くの楽しみが私を待っている。

それを掴むに行くかどうかもすべて自分次第、そう思うとモチベーションが高くなった。

嬉しい泣き、もらい泣き

三位決定戦に勝った瞬間、彼女達の喜びは頂点に達した。勝者サインをした後、応援する仲間の所に駆けつけ、長身のA子さんは真っ赤な顔にして涙が溢れ、小柄の私は彼女を両肩を抱き、背中を優しくポンポンと叩いた。

「良かった。本当に良かった。コーチが一番嬉しいと思うよ」私はA子さんの嬉しい泣きにもらい泣きをした。

A子さんのペアB子さんも目に涙が滲んだ。仲間らが彼女達を囲んで拍手をした。

昨日は地元のバドミントン大会のトーナメント戦だった。

A子さんとB子さんは昨年からベアを組んで4部の試合に。わけのわからない中で惨敗を喫した。

お二人のバド歴は十年以下、謙虚さを加味してここでは彼女達を初心者カテゴリーに。

A子さんは試合参加にいつも消極的だった。彼女は試合好きじゃないタイプかなと思ていた。しかし共に教室を通ってバドミントン談義をしているうちに、それは私の誤認かもしれないと気づいたのは、彼女が発した「試合に出るならちゃんと練習して上手になってから出たいね」の一言に思っていたことを改めた。

そうか、試合に参加したくないではない、負ける確率が高いなら出たくない、つまり参加する意味がある側に立っていない、どちらかというと試合に勝ちたい側の人だとか。

憶測せず、その場ではっきり確認しても良かったではないか?

確かにそうですが、私の直球すぎる性格は相手をいっらとさせる可能性があるに自覚しているから、ほかの人もいる時に気安く物事の核心に触れない方がいいと思った。

だが、私達はバドミントンを上手になりたいという共通認識、目標は確信済みだ。

根拠として、週1のチーム練習のほかにあちこちで練習の場を求めている。人によって複数のクラブチームに入っている。ちなみに私は現在三つに所属しているのだ。

A子さんとB子さんは昨年の苦い経験を糧に奮起した。バドミントン教室のほかに、チーム内で私ともう二人が賛同して月1のプライベートレッスンを取り入れた。

コーチは私達のバド熱に親身にコーチングしてくれている。

上目線のつもりは全くないが、彼女達は練習に対する意識が明らかに変わった。

自習練になれば時々上手な先輩に見てもらえるようにお願いする。指摘されたところは丁寧に何回もやり直しをし、体に覚えさせるために少しつつ復習を重ねて行った。冗談抜きで、高校三年間の勉強がこの姿勢でやり抜けたら東大合格したじゃないかと思うほどに頑張っている。

彼女達はグループ戦を全勝してトーナメント戦の切符を手に入れた。

正直に、グループ戦の全勝はすでに大金星だった。彼女達は口にはしなかったが、あと一歩前進したい気持ちは誰にも負けっていないと雰囲気でひしひし伝わて来た。

同じ道を歩んできた私は理解している。すべては自分自身の努力検証と違う景色を見るためだ。

三位を勝ち取れたは間違いなく努力の賜るものだ。

A子さんが我慢できずに嬉しい泣きをしたのは努力が報われたと極限の緊張感が解き放されたに共感する。

いつも一緒に練習している仲間として心底から拍手を送ると更なる上のステージへの応援をいつでもしています。

来年も一緒にいい景色を見よう!

仲間の勝利に目がうるうる

試合に勝利した瞬間、彼女達は両手を高く上げ、飛び跳ねてタッチした。

私はこの光景に目が少しうるうる。

彼女達は勝者サインを終え、待っている仲間達の所へ早歩き、皆とハグ、私は彼女達の目もうるうるに見えた。

一緒にバドミントンを頑張っている4部同士の彼女達は今年がペアを組み、今年こそ3部昇格にしたい、その目標に向けて練習に励んだ。しかし、前回の試合は残念な結果で終わった。今年に残ったチャンスはこの一回だけなのだ。

昇格の大原則は優勝することだ。今日、彼女達は第一関門のグループ突破、来週のトーナメント戦へ進む権利を勝ち取った。

同チームの仲間から見ればこの成果を出せたことに心から大きな拍手をしてあげたい。それと彼女達から感動をもらえたことに感謝だ。

共にバドミントン教室を通っているから、たまに教室の後はファミレスでお昼を食べながらバド談義をする。同じチームとは言え、やはり各自の事情と年齢でバド対する熱の入れ具合はそれぞれ違うのが当然。裾の広いところで争っている中高年バドの位置付けは、どちらかというと生活にメリハリをつけてくれるスパイスのようなものだ。年数回の試合はお祭り感覚が大きいかなあ。

昨年の前半、我々バドミントン教室の四人組は昼食でバド談義をした時、彼女達はもう少し速く上手になりたいなあとぼやけた。まあ、私達にとって「上手になりたい」は永遠の課題と常に口にしている事だからね。

ただ、私はその時の雰囲気が普段と少し違っていて、真剣さを感じた。

「コート問題がクリア出来れば、プライベートレッスンでも取り入れますか?私一人ならレッスン代とシャトル代は重いかも、ここにいる四人で分け合いなら。」

私はさりげなく言ってみた。

皆さんはそうでね、そうですねを数秒間の沈黙、一転して論議に入った。

その日のバド談義はいつよりも白熱した。

結論、私達は月一のプライベートレッスンを取り入れてみるにした。また、次のレッスンまでに教わったことを復習するように決めた。

そして4部の彼女達は組むことにした。私ともう一人はチーム内の1部の人と組んで2部に出て、共に優勝を目指そうとしていた。

あの日から、彼女達の練習の熱量がひしひし伝わて来た。今年に入って、チーム内での練習に誰もが彼女達が変わったことに気づいてた。

今回の試合が前よりもっと努力したの検証になるのだ。

ばずはトーナメント戦進出におめでとう!

そして明日のトーナメント戦に優勝を願います。

彼女達と私に。

一点差の逆転勝利が出来たのは運を引き寄せたから?

バドミントンの試合は三ゲームの二ゲーム先取が勝ちとなる。

私が必ず参加する地元の試合は今週にあった。恐らく体育館の使用時間の関係で運営大会はデュース無しの21点制に決めた。デュースがないから、泣いても笑っても先に21点を取った方が1ゲームゲットになる。そして各グループの一位が次週のトーナメント戦へ。

ということで、優勝を目指すならグループ突破が必須条件、このことを箱抜けとも言うのだ。

一つのグループは4チームの総当たり戦、今までの経験で言うと、箱抜けしたチームは全勝するのが多い、2勝1敗でサッカーのように得失点差による上がることは稀だ。

勝てる自信は何処にもない、自分より体格の良い相手が目の前にいるだけでビビりまくる体質の持ち主だ。常に最初から全力発進でファストゲームを取りに行くが、逆に取られた時点でファイナルゲームを繋ぐにはなんとしてもセカンドゲームを取らなければいけない状況に追い込まれると、そのプレッシャーは大波のように私を叩きつけるのだ。

それが試合と言うものだ。

私は一試合目に弱いタイプで、とにかく緊張して思うように動けない、ミスショットが頻発する悪い癖がある。とても致命的だ。

【三試合目】

もうのんびり出来る。

そして箱ぬけした。

山盛りの反省点を糧に次週のトーナメント戦へ。